三話
「来るわ!」
リヒトの叫び声とともに、茂みの中からウルフが四、五体勢いよく飛び出してくる。
真っ先に喉笛に噛みつかんと飛び付く一体をセオは剣の側面で叩き落とし、態勢を整える。
「なんだこいつら……目ギラギラさせやがって」
「こんな林の中だもの、しょうがないわ」
グルルル、と低い唸り声。金色の目を爛々と輝かせ、牙の覗く口からは唾液が滴り落ちる。
王都までの道のりにまず立ちはだかる難関、大平原を越える前に体力を消耗したくはない。
できれば戦いを避けたいところだが、彼等の様子からいってそれは不可能だろう。
リヒトは背中合わせに剣を構えるセオをちらりと見、歯ぎしりした。
彼の実力がどの程度かもわからない。気弱そうに見える彼の事だ、大して戦えないかもしれない。
ウルフは魔物の中でも凶悪で乱暴な種族だし、大怪我を負ってしまうかもしれない。
__どうする?
彼女の迷いを察したのか否か、セオも横目で彼女を見て頷いた。
チャキリ、と音を立て剣を構え直す。
その間にも、ウルフ達は唸り声をあげながらじりじりと近寄ってくる。
やるしか、ない。
リヒトは大きく息を吸い込んで声を張り上げた。
「いきなりで悪いけど……お手並み拝見よ、剣士さん!」
「ああ!」
セオはその時を待って居たかのように頷くと、地を強く蹴って群れの中央へ飛び込んで行く。両手剣の柄をしっかりと握り、黒い刃の先を地面に滑らせ弧を描くように宙に振り上げる。鋭い剣の一閃は的確にウルフの喉元を裂き、空を切る。続いて手を返し二体目にも一文字の斬撃。正確かつ重く素早い攻撃に、ウルフ達は次々と倒れていく。
予想以上の剣捌きに、リヒトは思わず息を呑んだ。
華奢な細い腕で両手剣を振り回す姿は、闇を切り裂いて進む狩人の様だ。
いや、感心している場合ではない。
腰から細身の剣を抜き、セオに続く。
飛び掛かってくるウルフの攻撃を剣でなんとか凌ぎ、次の一体へ斬りかかる。セオと比べて剣の技量は劣るものの、素早い身のこなしで敵の攻撃をかわしながら舞を踊る様に剣を振りかざす。
そうこうしているうちに、ウルフ達はどうやら全滅したようだった。
周りにまだ味方が残っていないかを確認してから、セオが駆け寄る。
「……大丈夫?」
「ええ」
正直、リヒトにとって剣を使うのはあまり得意ではない。
また普段街から外に出ないため魔物との戦いに慣れていなく、少し足がすくんでしまった。
情けない。唇を噛んで、剣を鞘に納める。
と、その時だった。倒れた筈のウルフのうちの一体がゆらりと立ち上がり、セオの首筋を狙って飛び掛かった。背後の影に気付かぬままこちらに来ようとするセオ。このままじゃ__
「危ない!」
気付けば咄嗟にセオの腕を引き、空いた手をウルフに向かって振りかざしていた。
一瞬の、静寂。びゅう、と冷たい風が頬をかすめる。
状況を理解したセオが振り向いたときには、ウルフは氷の結晶の中でその姿のまま固まっていた。
「……えっ」
途端にセオの目が丸くなる。
獰猛な表情、ぎらぎらと光る眼、逆立った毛、全てが氷の中で静止している。
これは氷属性の「魔法」、それも魔物を一瞬で氷の塊にするとなればかなり高度なものだ。
少しの間の後に、すごい、と思わず呟くセオに、リヒトはぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「怪我は無い?」
「う、うん……これ、って」
「驚くことじゃないでしょ? 魔法よ、魔法」
「いやっ、でも俺……魔法なんて初めて見たから、ちょっとびっくりして! すっごいんだね!」
リヒトにとって、ここで魔法を使う事は不本意だった。
無駄な魔力消費は避けたかったというのに、これは計算外。
不機嫌そうに視線を逸らすと、ほら立って、とセオの腕を引いて立ち上がらせる。
あれが魔法かあ、と屈託のない笑顔を浮かべる彼を横目でちらりと伺うと、目が合った。
慌てて逸らす。
こちらはやりたくてやった訳でもないのに、こんなに嬉しそうにされては調子が狂ってしまう。
「いいから行きましょう。ここで時間を潰して居られないわ」
ウルフの骸を踏まぬよう注意しながら、先程より少し温度の下がった林を小走りで進む。
セオは生まれて初めて見る魔法に興味津々の様で、頬を赤く火照らせながら、前を走るリヒトに問い掛ける。
「君、本当に魔導士だったんだ! 今のって魔法だよね、魔法って言うんだよね! すごい!」
「嘘つく訳無いでしょ。もう、無駄に魔力消費したくなかったのに! ……っていうかうるさい!」
すごいよ、すごい、と連呼するセオに振り返る事はなく、リヒトは前を進み続ける。
大平原からが旅の本番であって、今魔力はなるべく使いたくない、だとかそんなことは本当はどうでもよかった。純粋に、誇らしさと嬉しさからか口角が上がる。
今の顔、ちょっと人には見せられない、かな。
「ねえ、俺の剣捌きどうだった? なかなか良いでしょ。」
「悪くはないわね」
「ねえ、聞いていい? なんで僕達走ってるの?」
「また魔物に遭いたくないからよ!」
気分が乗ってきたセオの質問攻めにむっとしたのか、リヒトはやっと振り返って大声で言い放つ。
気が付けば時刻は正午を回ったようで、更に差し込む日差しは強くなり、背中に汗がにじむ。
足元で落ち葉がさくさくと音を鳴らす。
走っているからか暑さのせいか、それとも違う理由からなのか、リヒトの心臓はやけに早く鼓動を刻んでいた。
このセオという青年は、気弱そうに見えて結構図太いようだ。
華奢な体に似合わず剣の技術は大人を凌駕するほどだし、天然でやっているのかこちらの調子を狂わせてくる。
そのくせ地図が読めず道に迷っていたりと、なんだか不思議な奴だ。
どうと言うこともない言葉の応酬を続けながら走る先に、白く眩しい光が見えてきた。
木々の奥に見える、白い光。
「出口だわ!」
思わず歓喜の声をあげ、その林の出口に向かって走る。
フウロの北東に広がる小さな林。抜ければ、大平原はすぐそこだ。