二話
緑の深い小道で、リヒトは適当な位置に腰を下ろしひと休みしていた。
フウロを出てからだいたい一時間くらいが経つ。
すでに日は高く登り、背中がうっすら汗ばんできた。
首を滴る汗を手の甲で拭って、ふう、と溜息をつく。
そろそろ行こうかと立ち上がったところで、リヒトは遠くから近付いてくる人影に気付いた。
こんな町から離れた道、普通の商人や市民は使わない筈だわ。
じゃあ旅人、かしら。
目を凝らしてじっと見詰めていると、それはどうやら若い男のようで、背は高く遠目で見ても細い体をしているのがわかる。
そして、地図の様なものを片手にあたりをきょろきょろと見回していた。
道に迷っているのだろうか。
リヒトは暫し考えた後、青年の傍へ歩み寄った。
「どうかしましたか」
「ひぃっ!?」
思っていたより高い声。
青年は今までリヒトに気付いていなかったのか、ひどく驚いた様子で一歩後ろへ下がった。
寝癖がついたままのような、跳ねた銀色の髪。
丸く大きな赤い瞳に、色白ではあるが筋肉質な肌。
今リヒトの前で冷や汗をかいておろおろとしてはいるが、端正な顔立ちの青年だ。
「道、迷ったんでしょう?」
「え、な、なんで……」
「地図を見ながらきょろきょろしていたもの」
「あ、そっか……えっと、す、すみません」
手に持った地図で口元を隠しながら、恥ずかしそうに青年はぺこぺこと頭を下げる。
リヒトはそこで、青年が背中に大きな剣を背負っている事に気付いた。
また、彼の腰にも細見の剣がもう一つ。
二刀流にしてはアンバランスだが、おそらく剣士なのだろう。
そして、町から離れたこんな道を歩く剣士と言ったら目的は大体分かる。
リヒトは青年を爪先から頭のてっぺんまでまじまじと見詰めた後、腰に手を当てながら問い掛けた。
「もしかして……大平原に行くの?」
「う、うん」
フウロから王都へ行くには、長く続く一本道を抜け、アルケーの中心に広がる広大な平地__大平原を抜け、そして砂漠を越えなければならない。青年は武器を持っているし、もしかしたらこのまま王都へ行くのかもしれない。王都では数々の剣闘大会が開かれるし、きっとそれに参加するのだろう。
自分もこれから大平原に向かうが、一人ではきっと心細い。
それに、二人以上なら魔物に襲われた時の危険も減る。
なら、言うことは一つしかない。
「私も大平原に行くの。良かったら一緒に行かない?」
「いいの!?」
「ええ。ここらへんなら道も分かるし、案内できる」
リヒトの提案に、青年は存外嬉しそうに返事をした。
癖のある銀髪がぴょんぴょんと跳ねてまるで動物の耳の様だ。
ほっとしたように青年は胸をなでおろすと、ありがとう、と微笑んだ。
彼も一人では心細かったのだろうか。
少し気弱そうに見える剣士は目尻を下げて子供の様な笑顔を見せると、リヒトの隣に並んだ。
木々の隙間から木漏れ日が差し、地面に白い斑点模様を浮かばせる。
時折聞こえてくる鳥の声が心地いい。
二人はゆっくりと林を進みながら、お互いの事を話しあった。
青年は町を転々としながらクエストをこなすフリーの剣士のようで、ここ最近はフウロに滞在していたという。
クエストというのは地元の住民から寄せられる依頼の事。
主に魔物の討伐や皮などの素材集め、なかには迷子探しなんてものもある。
彼は剣の技術を生かし魔物討伐を主に仕事としていたらしい。
フウロにいたのに一度も会わなかった、と驚いた様にリヒトが言うと、クエストがあって港周辺にはいなかったから、と青年は頬を掻いてみせた。
と、少し進んだところで、あ!とリヒトが手を叩いた。
突然の事にびくん、と肩を揺らして青年も静止する。
そんな彼をよそに、リヒトは背伸びして顔を近付け、早口で言う。
「名前! あなたの名前、聞いてなかった!」
「あ! ……俺も君の名前聞いてない!」
お互い指をさして見詰めあい、にっ、と口角をあげる。
リヒトは一歩下がりくるりと回って両手を伸ばすと、ワンピースの裾を持って恭しくお辞儀をする。
「私はリヒト。魔導士なの。どうぞ宜しくね、剣士さん」
「リヒト……さん、か、宜しくな」
「さん付けなんかしなくていいわよ」
大袈裟に手にメモをする素振りを見せる青年に、リヒトはくすくすと笑い声を零した。
あなたは?と言いたげに首を傾げると、青年はごほん、と咳払いをしてみせる。
「俺は……セオ。セオ・フランム。さっきも言ったけど、フリーの剣士をしてる。」
「……セオね。そのまま呼んでいい?」
「もちろん」
セオはあまり上手くないウインクで答えると、じゃあ行こうかと先を指さした。
頷いてリヒトもその隣に並ぶ。
ぎこちなく会話に互いの名前を混ぜながら、また小道を進んでいく。
さく、さく、と靴が草を踏む音が快い。
と、その時だった。
ガサガサッ、という大きな音と共に茂みが揺れた。
途端に、二人も何かの気配を察知したのか足を止め警戒するように辺りを見回す。
獣の、匂い。血の生臭い匂いを感じる。
魔物だ、とリヒトは気付いた。
それも一匹ではない。ウルフ系の魔物が把握できる数だけでも、一、二……五体はいる。
それはセオも気付いているようで、二人は自然と背中合わせになって武器を構えていた。
唸り声。低い唸り声が辺りに響く。茂みの隙間から金色の目が覗く。
互いに背中を寄せながら、音を立てぬよう慎重に戦闘態勢へと移る。
__唸り声。長く、低い唸り声。それは空気を震わすように重く響き、そして__止まった。
ぽたり。首を伝う汗が地面へと落ちた。
「来るわ!」
リヒトの叫び声とともに、目をぎらぎらと光らせたウルフ達がばっと茂みから飛び出した。