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一話

 潮の匂いを連れた風が足元を通り抜け、見上げる空は眩しいほどに青い。

 降り注ぐ陽光に、少女リヒトは思わず目を細めた。

 こんな天気の日は、少し歩いただけでも汗が吹き出す。

 街道を真っ直ぐに進む足を止めて、手をぱたぱたと動かして扇ぐも、大した涼しさはやってこない。


 世界の文明の中心を担ってきた大国アルケーの南端に位置する港町、フウロ。海を渡った先の東国や列島諸国との貿易が盛んで、様々な文化の入り混じった街並みはどこか独特の雰囲気を醸し出している。

 以前と比べ寂れてしまったとは言えど、町には陽気な音楽が流れ、通りゆく人々は足取りも軽い。


「リヒトちゃん!」


 と、後ろから聞こえてきた声にリヒトは振り返った。

 息を切らし駆け寄ってきた声の主に、思わず顔を輝かせる。


「おば様!」

「もう、今時の子は歩くのが早いわねぇ……渡し忘れてたものがあったのよ」


 丸々とした体を揺らして大きく肩で息をつく女性。彼女はリヒトが住み込みで働いていた酒屋の店主で、身寄りの無かったリヒトを快く受け入れてくれた、かけがえのない恩人だ。

 先程リヒトの出発を見送ったばかりの彼女は、忘れ物を届けるためにここまで走って来たのだった。


 にこにこしながら彼女はそっとリヒトの腕を取って、何か黒い輪っかをはめる。

 何だろう、と言った様子でリヒトはそれをまじまじと見詰めた。


「これはあたしが若い頃つけてたブレスレットよ」

「おば様が?」

「そう。魔力が残ってるかは分からないけれど、あたしの気持ちがこもったつよーいお守りよ」


 ぽかんとした表情のままのリヒトの両手をぎゅっと握りしめ、彼女は強い口調で続ける。

 

「リヒトちゃん。命だけは、大事になさい。生きて、帰って来なさい」


 自分の手を握る皺くちゃの彼女の手が、震えていることにリヒトは気付いていた。

 リヒトは彼女を安心させるかのように、微笑みを浮かべ手を握り返す。


「……ええ。必ず、帰ってきます。それまでおば様、どうかお元気で。」


 母の様に己を愛してくれた店主に別れを告げて、リヒトはまた歩き出した。

 後ろに、自分を見送る彼女の姿を感じながら。


 大通りを進み市場を抜け、もう店主の姿も見えなくなった頃。

 右腕にはめたブレスレットを左手でそっとなぞって、リヒトは心の中で呟いた。


 ごめんなさい、おば様。私がここに戻って来る事はきっともう、ないんだわ。


 その時、ざぁっと風が吹いて、膝下までの麻のワンピースをふわりと揺らした。

 濡れた両目を手の甲で拭って、リヒトは荷物を背負い直す。

 歩き慣れたこの道も、見慣れたこの空とも、今日でお別れ。

 __私は、行かなくてはならない。



 遥か昔、この世界は混沌と闇で満ち、人々は凶暴な魔物に怯えながら日々を過ごしていた。

 そんな中、一人の女騎士が立ち上がった。

 彼女は、当時まだ研究途中にあった魔力を放つ不思議な石__「クリスタル」を思いのままに操り、数々の軍勢を率いて、魔物軍との戦争に勝利した。人々は魔物に怯える日々から解放され、穏やかに生活する事ができるようになったのだ。

 女は自らをクリスタルの中に封印し、「女神」としてこの世に君臨する。

 女神の生み出すクリスタルを中心とした文明が花開き、数百年もの間、人々は豊かな生活を謳歌した。


 そして、魔物と人類の大戦争から千年が経った現在。

 新たな富を得ようとクリスタルは乱獲され、今や枯渇が心配されるほどとなってしまった。


 クリスタルは人々の生活を支える重要な資源だ。

 採掘場を巡って各地で紛争が起き、多くの犠牲が生まれた。

 特に十年前、大陸の東側で起きた大規模な戦争は数多くの戦死者や戦災孤児を出した。


 リヒトの住んでいた町フウロは、クリスタルを輸出することで繁栄した地だった。が、採掘量が激減した今港は寂れ、かつてのような賑わいはなくなってしまった。

 それでも、彼女にとってフウロは大事な故郷なのだ。

 リヒトは、親の顔を知らない。物心つく前に生き別れ、様々な街を転々としていくうちにフウロの老夫婦に拾われ、住み込みで働くことになった。


 そんな大事な故郷をどうして離れるのか。

 それには大事な理由があった。


 百年に三日間行われるクリスタルの祭典、「聖夜祭」が近付いていたからだった。

 聖夜祭はクリスタルの恵みに感謝し、女神を称える祭であって、各地でパレードや記念の剣闘大会などが開かれる。世界中が一つになって、また百年恵みが続いたことを祝うのだ。


 アルケー王国の北側に位置する王都では特に大きな催しが開かれ、大陸中、世界中から観光客が集まる。

 彼女も今王都へ向かうため、住み慣れた故郷を発とうとしているのであった。

 それも、もう生きては戻れないかもしれない戦いに向かう為に。


 港から真っ直ぐに続く長い通りを抜けると、リヒトはゆっくりと振り返った。

 潮の匂いはもう薄れて、いましがた歩いてきた道もやけに遠く感じる。


「さよなら、おば様。さよなら、フウロ」


 こぼれた呟きは風に溶けて、誰にも聞こえる事は無かった。

 そうだ、これでいい。

 胸にぶら下げたクリスタルのネックレス。ぎゅっと右手で握りしめて、リヒトはもう一度前に向き直る。


 世界を揺るがす大きな冒険が、始まろうとしていた。

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