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86話 GINJI

それからも、俺達は2人きりの生活を続けていた。

いつも眠そうで、しかも突然、何をしでかすかわからない頼介を連れて外には出られない。

閉じこもりの生活が長くなればなる程、俺は疲弊していった。


医師には、俺自身が息を抜ける場所や話し相手を持てと言われたが、相変わらず、赤ん坊のように俺を求める頼介がいては、それも難しい。

それに、俺は疲労の第一の原因は、医師にも伝える事ができない俺の本当の気持ちだ。

こんな気持ちは、誰にも言えない。


「GINJI?」

頼介が不安げに俺の顔を覗き込んだ。


そうだ。

頼介はいつも俺の顔色を窺っている。

疲れた顔をしてはいられない。


「なんでもないよ。」


俺は笑顔を見せて、エアコンのリモコンを手に取った。

外は雨も降っている。

そのせいか、少し部屋が冷えてきているように感じたからだ。


「暖房?」

「そうだ。お前は寒くないのか?そんな薄着で。」


もともと暑がりな頼介だが、Tシャツ1枚という格好は、もう今の季節には合わない。

いくら外に出ないとは言え、風邪をひきそうだ。


「俺、まだ夏だと思ってた。」

ところが、頼介はそんな風に呟いた。


頼介の中で、時間の感覚が狂っているのだろう。

それに気付いて、切なくなった。


「仕方のない奴だな。何か羽織る物を持ってきてやる。少し待っていろ。」

そんな俺の気持ちを悟らせぬよう、俺は立ち上がった。


だが、俺を呼び止めるかのように、頼介は口を開いた。

「受験…もう追い込みの時期なんだよね。」


それを聞いて、俺はマズイと思った。

将太くんの事を考えると、頼介は決まって情緒不安定になるからだ。


将太くんと蓮介に関する話題は、頼介にはタブーだった。


みるみる頼介の顔色が変わっていく。

興奮の前兆だ。


「頼介。怖くなってきたら、どうするんだっけ?深呼吸だろ?いつも先生に言われているじゃないか。やってみろ。」

俺は座り込んでいる頼介に目線を合わせて、話しかけた。

だが、俺の話を聞いている様子はない。

これは、もう頓服を飲ませた方がいい。


家の中でも頓服は、常に俺が持ち歩いている。

水なしで飲めて、即効性も強い液状の薬だ。


けれど、遅かった。


頼介は叫び声を上げ、ソファーの前のローテーブルをひっくり返した。

上に置いてあったコーヒーカップが割れ、床に散らばる。


「頼介!危ない!」


破片に触れたら、また怪我をしてしまう。

俺は必死に頼介を押さえつけた。


体格も腕力も俺の方が上だが、頼介も大人の男だ。

本気で暴れるのを押さえつけるのは、容易ではない。

しかも、ここまで興奮してしまうと、薬を飲ませる事もできない。


こうなったら、持久戦だ。

幸い体力なら、俺の方がある。

床に押さえつけ、頼介が暴れ疲れるのを待った。


どれくらいの時間が経っただろう。

流石に頼介も疲れてきて、俺が片手で押さえきれる程度にまで力が弱まった。

片手が空くと、素早く頓服を取り出し、自分の口に含んで、口移しで強引に嚥下させた。


「ほら、薬も飲めたから、もう大丈夫だ。もう怖くない。怖くないからな。」


そう声をかけているうちに、頼介の力は次第に弱まっていき、完全に眠ったのを確認して、ようやく俺は手を離した。


今日は派手だった。

頓服を飲ませるタイミングが遅かった。

あぁなる前に、飲ませないとダメだ。


そう思って座り込んでいたが、ふと床に目をやると、血がこびりついている。

慌てて、頼介の全身を確認した。

だが、どこにも出血点はない。


不思議に思っていると、ポタっと、床に新たな血が垂れた。


よくよく確認してみて、ようやく気が付いた。


良かった…。

頼介の血じゃない。

俺の血だ。

揉み合っているうちに左腕を切ったんだ。


興奮すると痛みすら感じなくなる頼介を、いつも不思議に思っていたが、俺も同じだったらしい。

痛みはまるで感じなかった。

近くに置いてあったタオルを巻いて、乱暴に止血した。


部屋は滅茶苦茶だ。

片付けないと…。

否、頼介をベッドまで運ぶ方が先か…。


そう思ったが、すぐに立ち上がる気力はなかった。


そうやって、ボンヤリと座り込んでいた時に、インターホンが鳴った。

佐久間さんだった。


普段は、玄関で品物だけ渡して帰って行く佐久間さんだが、今日は部屋に上がってもらった。


部屋の惨状と、床に転がっている頼介を見て、佐久間さんは驚愕した。


「こ、これは!?RAISUKE!?大丈夫か!?」

佐久間さんは慌てて、頼介に駆け寄る。


「頼介は眠っているだけです。大丈夫ですよ。起こさないでやってください。薬で寝ているんで、起こしても起きないでしょうけど…。」


佐久間さんは改めて、俺の方を見た。


「GINJI…お前、怪我しているのか?」


左腕に巻いたタオルは、血を吸って赤く染まっている。


「佐久間さん…少しだけ、頼介をお願いできますか?俺、外の空気吸ってきます。」


「おい、GINJI!」


俺は外に飛び出していた。

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