豊穣月のお買い物
半月前の雨の多さもすっかり遠いものになった豊穣の月。夏真っ盛りの灼熱の太陽から朝晩の暑さが開放され始めた頃。
『今が旨い!』とか『激安! 特別セール中!』などの売り文句を掲げられ、実を結ぶ色鮮やかな果物や野菜が所狭しと店々の軒先に並べられ、例年稀に見る暑さの影響で野菜高騰が一段落ついた時分。
軒先の店主の調子の良い声に奥様方の財布の紐も僅かに緩む晩夏であり、初秋の月。
商業の要を担うイングワズ区は今日も今日とて……いや、普段よりも人が溢れかえっていた。
「春露夏秋冬はそれなりに楽しいけど、雨でやり込められる事が少ないってのはやっぱり良いねぇ」
「なんですか朧さん、その、シュンロカ……なんとかって言うの?」
暑さでいつもの白いコートを腰に結びつけ、買ったばかりの真っ赤なカッスイジュースの冷たくて甘い喉越しを楽しんでた朧は、問われた言葉の主に視線を下ろした。
少し身幅の余る青い制服に、不似合いな買い物籠をぶら下げた少年エリクが不思議そうに見上げていた。
「蘇叉の季節ぅ~」
一気にカッスイジュースの中身の残りを飲みきって言えば、エリクは大袈裟に驚いた表情を見せた。
「普通、春夏秋冬じゃないんですか?」
「こっちだと、春秋は半月も感じた事ないけどなぁ。露ってのは雨月って言ってさぁ、一ヶ月くらい雨ばっかの日があって、いつの間にか四季から五季に増えたんだと」
「えぇっ! そんな雨ばっかりなんですか?」
「その年毎によって違うけど、雨月は確実に二週間ほどの雨が降る。んなもんだから、水不足に悩んだ事はないかなぁ。流石に今は知らんけど」
「へぇ、羨ましいですねぇ」
最後に付け加えられたセリフは小さくて聞き取れなかったが、アーヴェラを初めとした国内では今年の夏は猛暑に加え、例年以上に雨も降らず取水制限を掛けられ、それが先日解除されたばかり。その経緯もあり、けらりと言ってのけた朧に、エリクは少しばかり羨ましそうに相槌を打っていた。
「ところで買い物は終わったのかね?」
「え、あっ、ちょっと待ってください」
問われてパタパタと、制服のポケットを叩き漁り、副団長から言付かったメモを引っ張り出した。
ブドウ、ペシェ、薫実、カッスイは半カット。ソーダも買った。野菜類とジュースは昨日買ってあるから……よし、大丈夫!
エリクは道のど真ん中で、籠の中身とメモを見比べて、指差し確認をはじめたが、初めて会った頃とは違い、人波に弾かれないように器用に道端へと移動をしていた。
「あと、ワインだけですね」
「ワイン? そんなのまで買うんだ」
制服での買い物にまさか、酒まで入っているとは思わなかった朧に、再びエリクが驚いてから笑った。
「今日だけは特別ですよ。なんせ豊穣月の豊穣日ですから」
知りませんでした? と小首を傾げて問われ、朧は普段とは違う相手からからかわれて、軽く機嫌を損ねて見せた。
「勤務中に酒買うなんて、思ってなかっただけだい」
不貞腐れたような言い方に、機嫌を損ねたことに気がついて、エリクはしゅんっと肩を落としてしまった。
其処で気がついて追い討ちをかけてくるような常の相手ではないと思い至り、明らかに戸惑って小さくなっている少年に朧も、気持ちを整えなおして歩き始めた。
「あら、朧?」
人の多い道すがらに、掻き消されてしまいそうな涼やかな声の主を呼ばれた当人は動物のように、耳をそばだてて見つけ出した。
「津雲さーん!」
人目を憚らず嬉しそうな声を上げて、殆ど飛びつく格好になった朧の後姿に、『多分、尻尾があったら千切れるか空飛んじゃいそうなくらい振ってるよね……間違いないく』などと、ぽかんとエリクは見送っていた。
「津雲さんも買い物?」
「ええ。今日は豊穣日だから、お菓子を買いに来たの。今夜、お誘い貰ったから、手ぶらなのもどうかと思って」
証拠と見せる様に、手に提げたお菓子が入っている小さな紙袋を持ち上げて、気が付いたように朧の影に隠れている少年を見つけた。
「あら、随分と可愛らしい自警団の方ね」
「お、おぉ! なんで、そんな隠れてんだよ」
幾ら津雲に目を奪われていたからと言って、気配も無く真後ろに居たエリクに気がつかず、朧はのけぞるように驚いていた。
「あ、えっと……は、はじ、はじめ、はじめまし、て」
「人見知りの本領発揮すんなや」
のけぞり、飛びのいたはずの朧の影に隠れるようにしながら、エリクは緊張で顔を真っ赤にさせながらもじもじと、頭を下げた。
「はじめまして。道具鑑定士の津雲よ。ダガズ区のマスタリー通りで雑貨店を構えているから、近くに来られた際には是非、立ち寄ってくださる?」
自己紹介を兼ねて、店の宣伝も忘れない所は一人で店を切り盛りしている津雲らしい。
「ぇ、と……エリクです。あの、イングワズ区第13自警団に、所属して、ます」
たどたどしく紹介を返したエリクもエリクらしいな。と朧は場違いに思っていたが、ふと、興味本意に思いついたことを口にすることにした。
「呼ばれたって言ってたけど、ロイさんに?」
協会敷地内にある馴染みのカフェのオーナーの名前を出せば、軽く横に振られて、彼女は何故その名前が出るのか分からない様子だった。
(ロイさん、なむ……相変わらず脈は少ないわ)
勝手に残念な結果だけを得た朧は、今日、津雲に会って聞いた事は伏せて置こうと決めた。
「あ、あの、朧さん、もし良かったら、ボクだけで買い物済ませて来ちゃいますよ」
気を遣っただろうエリクに、津雲は少年の腕に下げられた籠に気が付き、「あら、あなたもなのね」と笑い、常連に問う視線を向ければ、朧は苦笑してみせる。
「大丈夫だよ。津雲さん、また時間あるとき行くからよろしくね」
朧は言い慣れた文句を告げて、歩くように少年を促した。
いつもなら、他を差し置いてでも津雲を優先するが、今日はそうも行かなかった。
「本当に良かったんですか?」
彼女を見送ったあと、エリクが頼まれた酒屋へ足を向けながら恐る恐る尋ねて来た。
「何度も言わせるなって、買い物付き合うって言ったのは自分だしな~」
悪戯に輝かせた菫の瞳に、エリクは、己惚れかけた自分に気が付いて、慌てて首を横に振ってみせた。
「というか、すっごい美女な人でしたねぇ」
ほぅっと溜息にも似た吐息を零せば、津雲を知る朧は“此処にも一人、堕ちるか”と勝手に笑っていた。
「だよなぁ。商店街のオッサン達でファンクラブ結成されてるくらいだしなぁ」
「……それは、良いんですかねぇ」
言外に、奥さんとかいるのに……と、少年が含めていた事に気が付き、一層笑うしかない。
「流石に平気だろ」
ファンクラブ会長だと公言しているオッサンは、恐妻家でも有名だ。
曰く、『アレだけの美人だ。下手な事したら女神の怒りに触れちまうよ』と冗談だか良く分からない事を言って立ち上げたと言う。
「あ、朧さん。そこのお店ですよ」
エリクの注意引く指先に、視線を向ければ店先の告知用黒板に『今年初のグランダワイン大量入荷!』とカラフルにデザインされて書かれていた。
一足先にエリクが店の中に入れば、丁度他の地区担当の自警団員も少年と同じように制服のままで、赤と白のビーズで作られたブドウのリボンで包装されたワインを二つ、籠に入れて出てくるところだった。
何となく同じ制服のよしみで、互いに頭を下げた二人を見てから、遅れた形で朧も店内に入った。
「なにこれ」
「豊穣日ですから」
どちらかと言えば呆れたと言う風情の朧に、エリクは先ほど言った言葉と同じ言葉を返すだけだった。
店内は買い物客で賑わい、ちらほらとやはり、制服姿のままの人間が居る。
気になってその制服姿の人間だけを注視してみて気が付いた。
エリクほど歳若い人は少ないが、挙動がまだ初々しいような人間が多い。
「おぉ! これは珍しいじゃないですか!」
突然上げられた大きな感嘆の声に、店に居た人間が何事かと声が発せられた方へ視線を送る。
一様に視線を浴びたのはこの店の店主らしい白髪混じりの男だった。
そして、その店主の嬉しそうな視線を浴びているのは、両手をポケットに突っ込んだまま、空っぽになったジュースのカップを口先でだらしなく、咥えたままの朧だった。
そんな視線を浴びるとも考えていなかった朧は、完全に間の抜けた顔で落としそうになったカップを手に移した。
「白雷がこの豊穣日に訪ねてくれるなんて!」
感極まった様子で、両手をすり合わせて突進してくる店主に、近くに居た客も道を譲ったため、一気に間を詰められてしまった。
「な、なに?」
善良な一般人と言う認識を持って、のけぞる以上の事を堪えた朧は冷や汗を自覚しつつ訪ねた。
「あ、あの……」
「いやいや、今年は繁盛しそうですな! あ、そこの看板に、書き加えていいですか? おい、誰か手の空いてるヤツ、表の看板に書き加えておいてくれないか!」
一息に奥に居るスタッフを呼びつけ勢いに負けて、良く分からないままに「書かせていただきますね!」と念を押す店主に向かい、カクカクと人形のように首を縦に振ってしまった。
「す、すみません……」
「白雷が当店をご利用になってくれるとは、これはまた嬉しい! 是非、これを機会にご贔屓にして頂きたい!」
ニコニコと上機嫌で早口でまくし立てる店主に、またもや良く分からないうちに頷きかけて、助けを求めるように連れ合いを探せば、少年も困り果てたように、最初に出したメモとは違う用紙を手におろおろとしていた。
「やはり、グランダワインをご要望で? それとも、他のものをご要望で? この季節なら、がっつりと冷やして飲める物の方が良いですよねぇ」
全く此方の意を解さず、切れ目の無い店主の勢いに困り果てたを越えたところで、ようやく周囲が一層の好奇の目を自分自身に向けているのに気が付いた。
あっぶねぇ、勢いに任せて殴らないでよかった! など、些か物騒な感想だけを頭の片隅で思い浮かべてから、壁に設置された冷蔵庫の中から、オススメと書かれたワインを引っ張り出してきた店主にようやくストップをかけた。
そこで漸く、店主はずっと有名人の傍らで、雨の中で震える小動物のような瞳を向けている少年に気が付いた。
「おお、これは全く気が付きませんで! ご予約の方ですね」
全く悪びれた様子も見せず、そして営業スマイルを浮かべてエリクが差し出していた用紙を受け取り、「少々お待ち下さい」と言って、店の奥へと姿を消していった。
「すげぇな、あのおっちゃん……」
特に何かをしたわけでは無かったが、どっと疲れたと言う朧にエリクは、最後の任務を終えられると言う心底安心した溜息を零して、「豊穣月ですからねぇ」とまた繰り返した。
「やあやあ、お待たせしてしまいました!」
店の奥から入り口にまで響き渡る声で、再び店主が小走りに戻ってくるとついぞ、朧は身構えて出迎えてしまった。
だが、くるりとエリクの方へ店主が体を向けると、やはりビーズブドウのリボンでラッピングされたボトルが入っている紙袋を手渡した。
「御代は既に頂いております。神に感謝します!」
「心より感謝します」
漸く、買い物を終えられたと思ったが、今度はじりじりと制服姿の人間に取り囲まれていた。
「なあ……自分、何もして、ないよ、な?」
何もしていないとは分かっていても、制服姿の人間に包囲され、ジワジワとその幅を狭められていたら、確認を超えて助けを求めたくなるのは人間の心理だろう。
そして澄まさなくても、聞こえるのは、周囲の白雷本人かと問う声と、本人ならばと言う好奇の声だ。
怖い、なんか良く分からんけど、今日は怖い日だ!
そう結論付けた後の行動は早かった。一人が意を決して一歩踏み出そうとした気配を察知して、文字通り全速力で店の中から逃げ出した。
「う、わわあっ!」
エリクの腕をとっ掴まえて、ダッシュで逃げた。
だが、逃げた先は物凄く近い場所だったが、店から追いかけてきた自警団員は、そうとは知らず追いかけて勝手に遠くへと行ってしまった。
「コワイヨー、コワイヨー。なにあれ、コワイヨー」
物陰に隠れ、追い立てられている猫のように困惑している朧に、流石にエリクも同じ台詞はやめる事にした。
「ですから、良かったんですか? って聞いたんですよ」
「だって、買い物だけじゃん。なんで、自分追い立てられてるの? まだ、なんにもしてないよ!」
「(まだって言ったよ、今……)まあ、後は帰るだけですから大丈夫ですよ」
最後の台詞は問い質さない方が良いと思い、受け流していつかとは逆に、朧を促して歩き始めた。
人並みが多い通りを抜けるまでの間、妙におどおどしている朧に、エリクは流石に悪いことをしている気分になって来ていた。
「白雷はやっぱり、憧れる人多いんですよ。少しは自覚してもらえました?」
人の通りも薄くなり、自警団の詰所が見えてきた頃に、確認の為に言えば当人は眉根を寄せ、疑り深い瞳を作って見下ろしてきた。
「そんなー、ウソにー、騙されるーものかー」
「そこでどうして、そういう台詞になっちゃうんですか!」
「そうやってー、自分をー、騙してー、一体どうする気ダー」
「というか……その変な台詞はなんですか、もぅ」
疑いの棒読み台詞とでも言うのか、あからさまに変な口調で言う朧に、エリクは笑いより呆れた風情で、詰所の中に先んじて入っていった。
「ただいま戻りました」
「おー、おかえりっす」
「おせぇよ!」
「お帰りなさい」
「おぉ、お久しぶりです」
「平気でしたか?」
「面白い事あった見たいだな」
エリクの声に応じるように、エリクの先輩達や、副団長と団長も揃って二人を迎え入れた。
詰所の中に、十人ほどの人数が一同に居ると言うだけでギュウギュウ詰めになる。
元から自分の当番で椅子を占拠できるのならマシだが、机と椅子は四つしかない。客用のソファも一応あるが二人掛け。
あぶれた者は近くの机を椅子代わりにしている始末だった。
「おい、エリク。そこの抜け殻はどうしたんだ?」
団長のサバスに遠慮なく指し示されたのは、閉じたドアに小さくなって寄り掛かる朧の姿だった。
「んー……なんて言えばいいか、豊穣日ですから」
結局何度目かの台詞を返せば、朧以外の面々は納得したように「あぁ」と零していた。
「なんなん! なあ、なんなんよ! 自分悪い事してないのに、他の自警団のヤツラに追っかけられたんだけど!」
むきー! と子供のように叫び散らした朧に、どっと周りが笑う。
「それはそれは、今日と言う日には災難でしたね」
笑いながらも直ぐに、同情を示したのはエリクに買い物を頼んだ副団長のテドだった。
「エリク、荷物貰いますよ」
「あ、はーい」
流しの傍で既に準備に取り掛かっていたテドが入り口に居るエリクに声をかければ、荷物はリレー方式で運ばれていった。
「いやぁ、朧ってばホントすげぇなぁ、とか思ってたけど、予想以上のヘタレ帰還具合だったわ」
「あれ、喧嘩売られてる? これ、喧嘩売られてるよな。1万ガルで買ってやろうか? 自分が勝ったら十倍で返してくれるんだよな? なぁ、イルド?」
「イヤァ! 極悪非道な守護者がいるー」
「お前ら煩い。イルド、おめぇは早く仕事やれ」
入り口と奥側でぎゃあぎゃあと喚きあう朧とイルドに、諌めるサバスの声が掛かる。些か、怒りを含められていたので傍に居たイルドは、借りてきた猫のように大人しく机に齧り付いた。
「でも、店主の気持ちも分かるっすよねぇ。豊穣日に白雷なんて云ったら縁起物被りじゃないっすか」
「はぁ? なんだよ人をオモチャみたいに言いやがって。どういう事だよー」
狭い詰所の中を器用に動いて、片付けを手伝っていたカイトがニヤニヤとしているが、説明を求める相手は替えた方が良いと思い、テドの隣で渡された果物と格闘していたアーヴァンへと声を投げかけた。
「豊穣月ですからねぇ」
求めたはずの答えは返ってこなかった。カッスイの赤い果肉をスプーンで丸く繰り抜きながら、一度中身を別の容器に淡々と入れ換えていく作業に早くも没頭しているようだった。
「豊穣月の前は雷が大事ですからねぇ」
結局、朧の質問を引き取ったのはテドだった。薄くて柔らかいペシェの皮を手で向き剥がし続けている。
「意味がわかんねぇ~」
ぶーぶーと、口に出して文句を言う朧の前に、カイトからリレー方式でミルクと砂糖たっぷりの珈琲が渡された。
「雨っすよ。雷なったら雨が付いてくるじゃないっすか」
「ん~、あぁ。そういう」
豊穣月だから、と言うところにはソレで納得できた。だが、まだ疑問に思うものはある。
「なんで、自分が散々追い回されたわけー」
「自分の二つ名考えりゃすぐだろ」
「アルゲスって呼ばれりゃ、自分は白雷より一閃の方が浮かぶんだいっ」
「うわー、雷の神器持ちのクセによく言うよな!」
イルドがここぞ、とばかりに口を挟んでからかえば、無言で目の前の団長から威圧感たっぷりある笑顔を向けられ、また机に齧り付いた。
「でも、だからって追われる事に納得は出来なーい!」
「んなこと言ってるっすよ、坊ちゃん」
「だって、カイト先輩! さっきもボク言ったのに全然信じてくれないんですよ」
けらからけらからと笑い、説明してやれと嗾けても返事は膨れっ面で返って来た。
「久遠さん、ご自身が花形職業に就いてるって自覚持った方がいいですよ」
「ほら! 白雷は守護者の中でも、最強って言われてるくらいだし、みんな、あやかりたいんですよ!」
アーヴァンの援護射撃を受けてエリクが拳を握り締めて力説するが、勢い余って近くに重ねられただけの書類の塔を肘で打ち砕いてしまった。
「あぁ、せっかく片付けたのに」
「ごっ、ごめんなさいっ、ごめんなさい!」
片付けに勤しんでいただろう先輩たちの非難の声に、エリクは慌てて書類を拾い上げるしかなかった。
そんな出来事のせいで朧は、否定しようとしたタイミングを完全に逸してしまった。
コレが計算なら、エリクってば、何て恐ろしい子! などと言う勝手なことを片隅で思い浮かべながらだったが。
「んでも、なんで、制服で酒なんか買いに行ったんだよ」
「そりゃあ、豊穣月にあやかりたいからだ」
事も無げに団長から言われ、朧は首を捻ったが、一連の会話を思い返してあぁ、と納得した上で嫌そうな表情を浮かべた。
「自分なら、絶対仕事増えるようなこと願いたくないわー」
「惜しいっすね。それだけじゃないっすよ」
「おっしゃぁ! 書いたー!」
カイトが自慢げに説明をしようとしたところで、イルドの歓喜の声が会話の流れをぶった切り、二人は恨めしそうに同僚へ目を向けていた。
「それだけじゃないって?」
「踏んで作るのがワインってことで」
問題は今解決しておこうと、切られたものを繋げれば結局イルドが引き取って答えた。
「なるほど! 新人潰しか!」
「人聞き悪いこと言うな!」
「問題ありそうな事を言わないで下さい!」
的確な表現だと言いたげに、突っ込みを入れてきたエリクに不満気な目を向けた。因みに、サバスに目を向けたら、後に何を言われてからかわれるか分からないので、取り止めた判断は一秒も掛けていなかった。
「それに、ボクだってもう、そこまでの新人じゃないですよ」
薄い胸を反り返して言う少年に、朧はにやりと含んだ笑みを向けた。
「その割りにゃあ、津雲さんにめっちゃ吃ってたよなぁ」
「だ、だって、仕方ない、じゃないですかっ」
散らかしたものを漸く片付け終え、次の準備に取り掛かっていたエリクが思い出したように顔を赤くしていた。
「津雲って、あのダガズ区の雑貨店の店主っすか?」
「そうそう」
「マジっすか、羨ましい!」
「人気、ありますねぇ」
「分かりやすい美人さんだからねぇ」
朧の端的な評価に、カイトは同意し、エリクは納得したように頷いた。
「まあ、そう言うことでだ! イルド、外の準備して来い」
会話の切れ目を待っていたのだろうサバスが、手を打ち鳴らし快活に言い放った。
「えぇ~~」
「手伝いたくなけりゃいいぞ、その分肉は食わせねぇ」
「いってきまーす! ついでだ、カイト来いやぁ!」
「何で、おいらなんだよッ?」
「ふぇ……? えぇぇっ!」
サバスの鶴の一声に、イルドが近くにいたカイトの首根っこを掴まえ、ついでだとカイトはエリクの腕を掴んで三人で詰所の外へとずるずる連なって行った。
三人が裏に向かった分、空間が生まれ広くなった気がした。
「イルドとカイトの二人がいなくなっただけ、随分静かになりますね」
そう零したのはアーヴァンだ。下準備を整えた果物を、カッスイを削った器に再び入れていく。
「アーヴァン、済みませんが外の方をお願いします」
「了解しました」
頼んだ側と頼まれた側が同じような溜息を吐いたのがみえた。外では最年少の抗議と注意が混じった叫び声が上がり、アーヴァン先輩と言う援軍を得て、エリクの激が飛んでいた。
「はい、こちらも準備できました。皆さん、最後の手伝いお願いしますね」
テドの声に、中に残っていた面々も根付きそうになっていた腰を上げて、渡されて行く皿を外へと運んでいく。
賑やかカルテットの騒ぎながらも手際の良い準備のお陰で、普段は洗濯物や荷物が目に付く裏庭にテーブルやスタンドグリルが設置されていた。
「おぉ! すっげぇ。こういうパーティーって全然、縁が無かったから良いねぇ!」
生肉が並べられた大皿を両手に持って外に出てきた朧が、菫色の瞳を輝かせる。
「ホントですか? 久遠さんならバーベキューとか沢山参加してると思ってましたよ」
「あぁ、それはオレも思ってた」
友人の意外な言葉に、アーヴァンとイルドが同意しあい、エリクに至っては心の底から嬉しそうに笑い、朧の大皿を受け取りテーブルに並べて行った。
「それなら、今日は朧さんにも最後まで手伝って貰っても良いですよね」
「ああ、使っちまえ使っちまえ。文句あってもシオンから許可貰えばいい話だ」
「うぇぇっ、ひでぇ! サバスの旦那が職権乱用して人を扱き使おうとしてる!」
「仕事じゃないだろ。尊敬する友人の伝を遠慮なく使うだけだ」
片付けを手伝う気は無いと宣言する前に、上司の名前を出されてしまい、遠慮なく嫌な顔を向けてみせた。
「でも、シオンもそうですけど、セオさんも来れなかったのは残念ですよねぇ」
誘ったはずだろうと含めてエリクが零せば、朧は軽く笑った。
「しゃーねーよ。セオは家の方に行かないと不味いからさぁ。シオンさんは顔見せに来れたら来るって言ってくれたんだけどね」
誘った時、珍しく「もっと早くに教えろよ」と嘆いた相棒の姿を思い出し、続けて伝えに言った相手は「もうそんな日だったかのぉ。過ぎればまた直ぐに忙しくなるな」と、豊穣日の先に控えている協会内でも一大イベントに、少し疲れた溜息を見せていた。
豊穣月、豊穣日の夜。満月が空に昇ったころ。
家庭を持つ者は家庭の繁栄を。仕事に身をやつす者は奏功を願う日。
隣近所を巻き込むところもあれば、身内だけで祝うところも在り。
晩夏と初秋の僅かな間に揃う実を結ぶものを揃え、今年出始めの栄光もたらす酒で乾杯をする。
アーヴェラ近郊では豊穣祭と言う大きな祭りではなく、満月の日に各々の親交を温めるように行われていた。
外に料理が揃い、いつの間にか団長の家族をはじめ、各々が誘った友人たちが庭に集まっていた。
其処には、何時も朧の傍にいる人達の姿は無かったが、首都で初めて過ごす豊穣日にこれだけ賑やかな面子が揃えば上等だろうと、渡された紙カップ越しに向けられた笑顔につられていた。
「団長、お願いしますね」
庭に立つ人々にグランダワインが渡りきったのを見て、テドが促した。
「んじゃまぁ、これからもよろしくってことで。神に感謝します!」
「心より感謝します!!」