Du aroj de vitro ― ペアグラス ―
「届け物?」
守護隊長のシオンから唐突に言われた言葉に、朧は目をぱちくりとさせながら見つめ返した。
机に向かいペンを走らせていたシオンは、その手を止めて引き出しを開けた。
「うむ。大した物ではないのだが、すっかりと忘れていてのぉ」
悪びれた風もなく言いながら取り出されたのは、両掌分の小包だった。
「中身なに?」
シオンの机の上に置かれた小包は淡いピンク色の包装紙で可愛らしくラッピングされているが、外装などは今の朧にはどうでもいい。
忘れられていた小包のその中身と届け先の方が重要だった。
「なんだ、明らかに不審そうな目を向けおってからに……安心せい。中身はただのグラスだ」
「どこに?」
「フェンベレット商会。お主も聞いた事くらいはあるであろう? 私からだと言って渡してくるだけで良いのだ」
事も無げに指定された届け先に、朧は一層眉間のしわが深くなったのを自覚した。
荷物とシオンを見比べるまでもなく、話しながらもシオンは次の書類作成の手を休めずにペンを再び走らせ始めた。
「だからって何で自分なのさー。セオでもブチ配送便でもいいじゃん」
「言ったであろう、忘れていたと。出来るだけ今日の早いうちに届けておいて欲しいのだ。それに、セオは今日は所用でアカデミーの方に行っている。その点、おぬしは暇であろう」
「いやぁ、忙しい忙しい。忙しいんですよ? 管轄区の見回りとか、さー……あ、はい。嘘です、喜んで行ってきます」
面倒だと言わんばかりに、視線を明後日の方向に向けて言う朧に向かって放たれた殺気に、諦めて荷物を寄せて力無く項垂れた。
それが、一時間前の事だった。
フェンベレット商会。バラスト国内のみならず近隣国にも店を構える一大企業だ。
一般家庭向けの雑貨を主に取り扱い、大きな家具から小物まで何でも揃うと主婦層に大人気だ。
“欲しいものが見つからない! そんな時はファンシーからクラシカルクールまでオーダーメイドもOKなフェンベレット商会にお任せください!”と、大々的なチラシを配布したわけでもなく、人の集まりやすい本屋の片隅に小さな紹介チラシを置いて、口コミで広がっていった堅実派でもある。
初代社長が国内でその地位を確立し、現二代目が就任するにあたり国外へと進出を果たしたと言う。
本店はダガズ区にあり、イングワズ区にあるフェンベレット商会の支店を知る者達には意外過ぎると言われているほど質素で小さな店だ。
しかも、看板を出しているわけでもなく、外からは店内の様子を窺うこともできない少し広い一軒屋にしか見えない。
何気に初めて訪れる朧も、その意外な外見に渡された地図を何度か見直していた。
「転送機も点検中だったし……厄日かねぇ、今日は」
深い溜息を吐きながら、ドアベルを鳴らした。
擦れたキンコーンと言う趣きある音に続き、静かに開かれた扉の向こう側を見て驚いた。
扉を開けたスタッフをはじめ、左右に三名ずつ制服に身を包んだスタッフが一同に「いらっしゃいませ」と同じ角度で頭を下げて出迎えた。
「ご予約のお名前をお伺い致してもよろしいでしょうか?」
にこにこと営業スマイルを向けてくる女性スタッフに朧は慌てて手を横に振った。
「いや、アーヴェラ協会のシオン・キュエールの使いです」
「協会から、ですか? どうぞ、こちらの席で少々お待ちください」
外見より奥まって広い店舗は、一軒家を改装しているのがよくわかった。
一階はロビーを兼ねた応接間と予約客専用の応接室に改装し、それぞれの部屋の内装が異なっている。しかし、扉らしい扉はなくスタッフと客の顔も他所から見えていた。
だが、先にいた客の誰もが特に気にした様子もなく、話を進め果ては気になる部屋を示して商談を進めている人もいた。
待っている間に差し出されたコーヒーに、たっぷりとミルクと砂糖をいれてスプーンでくるくると回していると、不規則な足音を立ててスーツ姿の壮年の男が笑顔で手を上げて来た。
不規則な足音の正体は直ぐに分かった。
歩く瞬間に見えた片足の異様なほど細くたわむスラックスが彼が義足だと教えてくれた。
「ああ、立たずに良い。座っていてくれたまえ」
立とうとした朧を制止て、どさりと音を立て座るとふぅっと一息ついた。
「初めまして、私がリチャード・フェンベレットだ。君が久遠朧くんだね。噂は聞いているよ」
差し出された手を握り返し、簡単に挨拶を返した。
「して、今日はキュエールくんの使いと聞いたけれど」
「はい。シオン守護隊長からフェンベレット商会宛に預かってきました」
個人宛だとは言われていなかったので、朧は少し言葉を選んで告げた。
「君は、中身が何か知っているのかね?」
リチャードの力強い眉毛が些か楽しそうに片方だけ跳ねた。それに気がつかない振りをして素直にシオンから言われた言葉だけを返した。
「開けていただいてもいいかね? こう見えて、左手も不自由でね」
「はぁ……では、失礼して」
余りまじまじと見ては失礼かと思ったが、告げられたとおり彼の左手も義手だった。
「ほお、君は噂とは些か違うようだね」
「……え、と……それは、どういう?」
包装を外し、箱を開けようとした瞬間に言われ朧は困惑したままリチャードへ目を向けた。
「なに、街で聞く君の噂はかなり奔放だと聞いていたからね。だが、包装を静かに開ける仕草や他のものを片付ける仕草は中々どうして、綺麗なものだ」
「そんな事、言われたのは初めてですね」
どう返すべきか分からず、苦笑いを浮かべつつそのまま箱を開けて、リチャードの前へ差し出した。
「例え上辺だけの取り繕いだろうと、相手を信用させるに一役買う業だ。あって損は無い。セオくんの場合は、あれは元から躾けられたものだから別だろうけれど」
「セオもこちらに来たことがあるんですか?」
「ああ、彼とはパーティの席で幾度か挨拶しただけだがね。パーシヴァル家の人間を知らずしてこの街では過ごせまい」
「なるほど。では、これで失礼いたします。貴重な時間を頂き有難うございます」
「そう急ぐこともあるまい。それとも何かこのあと急ぎの用事でもあるのかね?」
「いえ……」
まさか引き止められるとは思わなかった朧は、一瞬顔に出そうになった面倒臭さを堪えた。
「とりあえず、場所を私の部屋に移してもいいかね? やはり、車椅子のほうが楽でね」
何かを言う前に、リチャードは後ろに控えていた秘書を呼びグラス類を持たせて、先に立った。
シオンの代理としてきてしまっている以上、朧は仕方なくその後を着いて行くしか出来なかった。
通された部屋は二階だった。部屋の奥に緩く曲線を描くスロープがあり、やはり不自由そうにその床をリチャードはゆっくりと上っていった。
「君はヴァロをどう思う? それを支えるアシスティは?」
「……大変そうだと思うことはありますよ。でも、縁が遠いので自分にはよくわかりませんね」
正直な感想を零すと、秘書の肩が僅かに不機嫌そうに揺れたのが見えたが、リチャード本人は笑っていた。
「まあ、ヴァロだろうとなんだろうと、結局人間ですからね。自分に合えば合う。合わなければ合わない。ただそれだけですよ」
「なるほど。確かにその通りかも知れないね。さあ、其処の椅子に掛けてくれたまえ」
社長室らしい部屋の扉直ぐ側に車椅子が置いてあり、彼は座るとそのまま中央のテーブルに着いた。
朧は一つ頭を下げ、勧められた席に着いた。
社長の指示に従い秘書がグラスをテーブルの上に置き、その傍らにラッピングされていた包装紙とリボンをまとめて置き、一度席をはずした。
「すまないね。あの場所では話しにくくてね」
「どう言う事ですか?」
「君なら、このペアグラスを幾らで買うかね?」
ニッと口端を持ち上げて前に詰め寄るリチャードに朧は目の前のグラスを見た。
シオンが渡してきたのだから、その辺の安い店で仕入れたものではなさそうだが……
疑問に首をかしげながら手を出さずに、グラスの状態を見る。
当たり前だがヒビ一つ入っていない綺麗なゴブレット。上が透明で真ん中からグラデーションのように赤、青、緑、黄色が様々な太さのラインを描いている。
「よく分かんないけど、二百Gぐらいですか?」
一般的なグラスより少しだけ値段を上乗せして言うと、あからさまに彼は落胆した表情を浮かべた。
「そんなに安く言われるとは思わなかったな」
「普段使いの品なら、それ以上だと高すぎて使えなくなりそうだったので」
「なるほど。君はこのグラスを日用品として考えたのだね。確かにそう考えれば妥当な値段だろう。では、キュエール君にこれを渡しておいてくれたまえ」
あらかじめ用意していたのかリチャードは、いつの間にか自身の机の中から封筒を取り出す為にテーブルを離れていた。
慣れた手つきで車椅子を操り、再びテーブルの前に戻り封筒をゆっくりと差し出した。
表名にはシオンの名前が書かれていた。
「お預かりします」
「ちなみに、それを作れる職人は一握りだ」
口端を意地悪に持ち上げて言う彼だったが、朧は無表情を通すように口元を締めた。
「君の目が間違っているとは言わないが、商売人相手には素直すぎるな」
「ご忠告どうも。では、用も済んだのでこれで失礼します。お時間頂ありがとうございました」
封筒を仕舞い、綺麗な一礼を披露してフェンベレット商会を後にした。
「シーオンさーーん!」
面会手続きを乱雑に済ませ、本人に連絡が行っているかも分からない速度で部屋に辿り着きそのドアを叩いていた。
「何事だ、うるさいぞ」
朧の声と気がつきシオンが乱暴に扉を開いた。
内側に開くため、叩くものが無くなった朧の拳はシオンの払い手で空を切った。
「おお、随分早い戻りだったの」
「そりゃぁ、怖い隊長からのお使いだもの、急いで行ってきましたよー」
「随分な機嫌だのぉ。まあ、察しはつくがな」
煩いから入れと促す彼女に、朧は足音を立ててベッドの淵にドカリと腰を落した。
「今日は厄日だ!」
「お主には良い一日になったようだの」
「全然! ああいう会社の社長ってのはああなのかよっ」
不満をぶちまける朧に、シオンはくっくと喉の奥で笑った。
「どうせあやつの冗談を真に受けてきたのであろう」
「冗談だとしたら、随分と親切心溢れるもんだったよ」
取り出した封筒をシオンに叩き付けなかったのは、自制心が働いたのか本能か。
「そうか。ちなみにあのグラス、お主ならいくらで買った?」
「二万!」
低く言ったと思われるのも癪で、とりあえず桁をずらしてみた。
しかし、返事は間を空けて笑う声だった。
「そうかそうか、あんなもんにそんな値段をつけたのか」
「なんでー、そんなに笑うのさぁ」
「いやいや、見てくれに騙されぬお主と思っていたが、いやいやどうして、それとも良い値を言ってからかわれたのか」
シオンにしては珍しく声を上げて笑い、益々朧はふくれっ面になった。
「あのグラス、そんな大層な値打ちのものではないぞ。まあ、祝いの品であるから伝は頼ったがの」
「祝いの品ねぇ」
「金額を言うのは野暮と言うものだが、誰でも気軽に買える所の物だ。もし、その値を言うて、素直すぎるとでも言われたのなら喜んでおけ」
「むぅ、意味わかんねぇ」
いつの間にか用意された茶菓子に、朧は手近にあった煎餅をいい音を立てて歯で割った。
「ほぼお主の見立て通りのものだと言うことだ。まあ、何にせよヤツに顔を見せておくのが一つだったからの」
「どういう事さ?」
お茶を啜り、口の中に残っていた煎餅を流し込んでから訪ねればふっと真顔になって見つめられた。
「フェンベレット商会は国外にも店を構える。お主が贔屓にしている鑑定屋だけでは届かぬところもあるだろう」
「別に、そんなでっかい伝はいらないけどね」
「まあ聞け。近年の冒険者資格試験の整備のお陰で、協定している場所では大分マシにはなったが、まだまだ……」
「闇商人達?」
「それだけでは無いがな。だが個人で追えぬ物は多い……覚えておいて貰って損は無いぞ」
「外に出る機会があるなら、そりゃ良いだろうけどね」
変わらぬ態度で皮肉を込めて言えば、シオンは少しだけ口元を上に引き寄せた。
「あとはお主の態度次第と言うておろうに」
「わかってるって、閉じ込められないだけ、ずっとマシだよ」
煎餅をもう一つ齧り、先ほどよりも早めに食べ終わるともう一つと手を伸ばしていた。