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Ter time

 薄紅の大きな花が施された白磁器の艶やかなティーカップに紅色のお茶が薫り高く注がれていた。

 普通の紅茶とは一味も違うと容易に想像をさせる深い香りが鼻腔をくすぐり目の前で最後の一滴がカップの中に落ちた。

 ソーサーにもカップと同じく薄紅の花が描かれているが、こちらは縁取るように小さく蔦と共にあった。

 声も無く目の前に差し出された紅茶はやはり深い色で静かに香りを立ち上らせている。

「毒などは入っておらん。お前もついに警戒するようになったのか」

 ほんのりと哀しい響きを含ませて、客人との間に焼いたばかりのマカロンを乗せた皿を置いた。

 傍らのワゴンカートにはケーキスタンドが置かれてあり、もう一皿焼き菓子が用意されていた。

 側には幾つかガラスの小瓶に入ったフルーツジャムもあった。

「別に、普段お目に掛かれないものだからね。ちょっと気後れしただけだよ」

 どこか誤魔化す含み笑いで答え、客人はカップに指先を掛けた。

「三年は経ったのか? お前がそこに座っていたのが少し懐かしく感じる」

「そんなに長く入り浸ってたっけ?」

 でも、同感だと呟きながら紅茶の香りを少しだけ楽しんでから口に含んだ。

 唇がわずかに濡れる程度の量でも広がった茶葉の香りは鮮やかだった。

 爽やかな味に続いて深い甘みが追いかけてきたが後には残らない。

「うまっ」

 素直な感想が聞けたことに満足したのか主人は、もう一つの焼き菓子スコーンを同じように置き、ジャムを並べてから向き合うように席に着いた。

 レースリボンで花を作ったピクチュアハットのお陰で主人の顔には影が降り、絹糸の髪が光の加減で透明にもなり眩く輝く金にも白銀にも変わる。

 縦に大きく波打つデザインの淡いクリーム色のフリルドレスの上に、白く清潔なナプキンを膝に置き、細くしなやかな指先でマカロンを一つ取った。

「今でもお前を止めなかったことを後悔している。わたしの元に居れば、今のような不自由もしないだろう」

「不自由そうに見える?」

 行儀悪くテーブルの上で頬杖を付いて向けられた大きな瞳を覗き込むが、主人は瞼を下ろし視線を遮った。

「使いでこのような所に来なくてはならないほどにはな。わたしにはあの時の方が自由そうに見えたが?」

「そっか」

 無意識のうちに柔らかい声音で答えた客人に主人はゆっくりと目を開いた。

 一つしか減っていない菓子を見て、零れそうになる吐息を堪え盗み見た。

 あの時はまだ白く細い腕だったのに、今は焼けて少し筋肉がついて太くなっていた。

 服も似たようなもので汚れ一つもなかった白に、落ちなくなった泥汚れがあるのも気になった。

 光が降り注ぎ、お抱えの庭師が作った花の色鮮やかな庭園には相応しくない装いだが、主人は人を払ってまで二人だけで同じ席に着いていた。

「あの時は生きる術を身に着けることで精一杯だったし、正直、こうしてた時間が本当に一息つける時間だった」

「そうか。そう思うのならまた問おう。“わたしと一緒にならないか?”」

 問い掛けてから紅茶を含んだ。

 一口飲み干してから、ミルクポットから中身を移しスコーンと赤いジャムを取った。

「あんたみたいな美人と一つ屋根の下で暮らすのも良い話だけど、答えも変わらないよ。大事にしまわれそうになるのはゴメンだ」

「しまうつもりは無いのだがな。好きに外に出て、ここに帰って来てくれれば良い」

 小さなスコーンにジャムを乗せる。小さな赤い果実が零れ落ちそうになるのを掬い上げスプーンを皿の上に置いた。

「寂しがり屋?」

「そうだな。わたしは寂しいのかもしれないな」

 小気味良い音を立て齧られたスコーンから一粒零れ落ち、主人の添えていた手に受け止められた。

「こんな風に受け止められるのなら良かったが」

 ナプキンで手を拭き、何事も無かったように紅茶をまた含んだ。

「食べないのか?」

 促されまた目の前の紅茶で軽く唇を濡らす。

「あんまり帰りが遅くなると、いけないんだけどね」

「邪魔をされずにゆっくりとお前と二人話をしたかっただけなのだがな」

「十分してない?」

「もっとゆっくりとな。しかし我が儘を言って他に迷惑をかけられん」

 主人は膝からナプキンを外し、傍らのワゴンカートの下から大きな封筒を取り出した。

 厚みもあり、裏にはしっかりと封?が施されていた。

 薔薇よりも丸い花の形は開き、花びらの数も少ないシールが刻まれているのを確かめて、客人は席を立った。

「確かに預かるよ」

「もう行くのか?」

「人を待たせてるからね」

「結局、わずかに口をつけたのは紅茶だけか……寂しいものだな」

「あんまり上品なものに口が慣れると、後に差し支えるからね」

 遠回しに食事を辞退し渡されたばかりの封筒をテーブルの上に置き、主人の元へ近づいた。

「また来るよ。お使いでだけどさ」

「分かっている。また、その日を楽しみにしているさ」

「町に下りれれば良いんだろうけどね」

 静かに差し出した指先が主人の柔らかな頬に触れるが、小さな手がその指先を離して包み込んだ。

「お前と似ているが、やはり違うものだ。此処で静かにしている方が性に合う」

「それならいいけどね」

「資料の対価を貰うぞ」

「どーぞ」

 客人は手の力を抜き、視線を主人のピクチュアハットから逸らした。

 掌に感じた鋭い痛みを堪え、自分の唇を舐めて宥める。

 数秒経ってから、柔らかな唇が掌から離れ、一瞬だけ熱いモノが這った。

「相変わらず不味いな」

「その割にはしっかり持ってかれた気がするんだけど」

 くらりと視界が歪んだのを自覚しながら、噛み付かれた手に視線を落した。

 穴の開いた掌から赤い血が滲みだしていた。

 鈍く続く痛みに溜息を隠して、ポケットに入れておいた封のされたガーゼを破り、強く押し当てる。

「契約しただろう。まあ、勝手に領域を侵したモノに関してはわたしは関与せぬがな」

「できれば、人里に下りないように管理して欲しいけど」

「わたしは“見ているだけで良い”と言われたはずだがな」

 含み笑いを向けながら、主人は真新しいナプキンに焼き菓子を包み客人の手の中に押し付けた。

「持っていけ。どうせ捨てるだけになるし、最初に言ったように毒も何も入ってはおらん」

「そういうことなら、頂いていきましょうかね」

 自分の手当てを終え、白い包帯を後ろ手に隠すように恭しく頭を下げて見せた。

「お前は本当に嫌なヤツだ」

 緩やかに向けた表情は馬へ向かう客人には見えなかった。

 書類は背に括り付けていた鞄へしまい、怯えを隠したまま待っていた馬を宥めるため何度もその体を擦っていた。

 慎重に結んでいた手綱を付け直し、一息で馬の上に跨った。

 視界が一気に高くなり、小さな主人を見下ろす。

 穏やかに向けられた笑みが見えるが、先ほど言ったように寂しさが滲んでいるのが分かった。

 しかし、客人は別れの言葉だけを告げただけにした。

「道中気をつけて帰りなさい」

「ありがとうございます」

 手綱を振り下ろし、ゆっくりと馬が屋敷を離れるために歩き出す。

「次もまた、お前のために菓子を用意しておこう」

 背中に向けて小さく零した言葉は届いたのか、白い背中が速度を上げて去っていくのが見えただけだった。

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