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短篇一篇 その12

作者: 戸倉谷一活
掲載日:2026/03/16

 最初は国王が例年と違う行動が切っ掛けとなって内乱が起きるとか、そういう話だったのですが、いつの間にか違う話が仕上がっていました。

 舞台としては五百年よりも前の日本では無い、どこかの王国としておりますが、キリスト教圏か、イスラム教圏か、それとも他の宗教の地域なのか、それがはっきりと思い浮かばなかったです。

 自分で言うのもおかしな話ですが、靄がかかったような感じで書き進めました。

 夏至。

 その王国では毎年夏至の日になると夏至祭として国中が祭りとなる。

 そして王宮の庭園では国王主催の舞踊の大会が催される。

 その舞踊の大会には王国各地から個人や団体など舞踊に自信がある者、または土地に古くから伝わる舞踊の伝承者ならば誰でも参加できるし、優劣を競うものでは無く、国王に王国各地の賑わいを伝えると同時に国王を楽しませることが主旨であった。

 夏至の翌日には国王から参加者らには記念品と若干の旅費が支給される。

 旅費の支給といっても王都までの距離や人数は考慮されておらず、国王が国民に旅費を下賜したという名誉を与えることが目的とされており、人数が多かったり、王都までの距離が離れていると参加者は赤字となっている。

 残念ながら一般の国民は王宮へ立ち入ることは許されていないから直接、舞踊の大会を観覧することは出来無い。

 しかし、王国各地から集う舞踊家や舞踊集団は夏至の数日前から王都へ入り、宿へ泊まったり、王都の広場や郊外の空き地へキャンプを張ったりして夏至の当日まで舞踊の練習などを行ったりする。

 王都の人々はその本番前の練習を観て楽しむことは許されていた。それ故に夏至の数日前から夏至祭は始まっているとも言えるだろう。

 経済的に恵まれている人は投げ銭を与えたり、飲食をご馳走したりしている。見物人や舞踊家らを相手にした飲食の屋台なども姿を見せることもある。

 一方、舞踊家らも地元の工芸品や保存食などを王都へ持ち込み、王都の人々へ販売している。中には舞踊家と一緒に地元の商人が王都へ来て販売に専念していることもある。

 そして夏至の日、朝早くから王宮の周囲には舞踊の大会に参加する舞踊家らが集まって賑わっていた。

 本番前に最後の練習をする者、他の地域から来た参加者と世間話に花を咲かせる者、王都の娘達は舞踊家の中に格好いい青年を見付けては黄色い歓声を挙げたり、毎年王宮の周囲は早朝から夜遅くまで賑わっている。

 勿論、王宮の周りに集まる人々を相手にする飲食や土産物の屋台も早朝から出店しており、こちらも朝から元気の良いかけ声で客を集めている。


 舞踊集団の中には歌い手や笛、太鼓、弦楽器も含めて二十人、三十人と大所帯な団体もあり、王宮の外へ流れてくる音楽を聴くだけでも案外楽しめるものだ。

 国王は玉座に腰掛け、その左右には王妃や王子、王女、大臣らが座り、貴族らは演舞の邪魔にならぬよう庭園を囲むように場所を取り、敷物などを敷いて座っている。

 国王の後ろには側近だろうか、演者の出身地や舞踊の意味や伝承などを国王に説明している。

 国王は一つの舞踊が終わると立ち上がって拍手をする。

 国王がトイレへ行く時には舞踊を一旦止めて国王が席へ戻るのを待つことになるが、王妃以下が席を立っても舞踊が止まることは無い。

 今年は去年よりも一組多かった。

 最近王国が併合した土地から来た舞踊団だ。

 この集団は楽器の奏者や歌い手も含めると五十人近かった。そしてこれまでとは全く異なる群舞を披露した。勇壮、繊細、ときに滑稽、華麗、様々な要素を短い時間に詰め込んでいて不自然さを全く感じさせなかった。

 国王は余程感心したのか、無意識の内に席から立ち上がって鑑賞していた。王子や王女も合わせて席を立って歓声を挙げていた。

 側近は王へ着席を促すが、国王は気にせず群舞が終わるまで鑑賞し、大仰な拍手を贈った。

 この話は即座に王宮の外へも伝わり、既に演舞を終えた人達、今から演舞を行う人達、舞踊家らを目当てに集まっていた王都の人らは拍手喝采で演舞を終えた集団を迎え、国王がどの様に席を立ったのか、演舞の内容が具体的にどの様なものであったのか、根掘り葉掘り聴こうとする者もいた。また自分達も真似たい、「来年は我々も、王を席から立たせてみせよう」と来年へ向けて話し合う舞踊団も一つや二つではなかった。

 日も暮れ、松明が灯される中で最後の舞踊が終わった。


 この日、国王は殊の外機嫌も良く、締めの挨拶もことさら長かったが、挨拶を聴かされるのは大臣や貴族であり、国民は王宮の外で夜遅くまで余韻を楽しんでいた。


 翌日、王宮の中にある一室に王族や大臣、主立った貴族らが集まっていた。

「国王はどうしたのだ?」

 一人が言う。

「そうではないだろう」

「確かに、面白かったでは無いか」

 王が珍しく途中で立ち上がったことが問題となっている。

「王の威厳はどうなる。たかが踊りで腰を上げるようでは、なにかあった時、どうするのだ」

「確かに、うろたえられては困るな」

「その様なことを言うならば、王子に王位を継いで貰うしかあるまい」

「まてまて、それでは王はどうする」

「そ……、それは……」

「それこそ、国王への不敬となるぞ!」

「不敬とはなんだ!」

 広いテーブルを挟んで中年の王族二人が殴り合いの喧嘩でも始めそうな状況となった。

 最年長の大臣がゆっくりと立ち上がって「まず、待ちたまえ。落ち着こうでは無いか」と声を掛けて双方をなだめ、「今回の件だが、国王は何も悪くないだろう」と続ける。

「しかし、国王は席を立たれたでは無いか」

「政務には問題はないし、今までなんの問題も無かった。寧ろ、国王は惑わされたのでは無いか?」

「誰が王を惑わすというのだ?」

「わからぬか、あの舞踊を見せた者共では無いか」

「あの者共が、王を惑わすとは?」

 最年長の大臣が「あの者共はどこから来たか、忘れたか?我が国に併合されて日も浅いし、我らの併合に不満を持っている、その様な地から来ているのだぞ」

「国王を惑わし、傷付けるつもりかもしれぬと言うことか」

「それも、無いとは言えぬな」

「それでは、あの者らを捕らえましょうか」

「まてまて、具体的に何の罪に問う?」

「国王が立ち上がっただけでは、罪に問えぬぞ」

「我が国の民は皆、常識がある。罪の無い者を捕らえでもしたら、我らが批判されるだろうよ」

「それでは、この件に関しては、話を終えるしかないのではないか」

 最年長の大臣が「諸君らは、それで良いのかね。不満を溜めたまま、納得もせぬまま、会議を終わらせるのかね」と言います。

「では、どうしろと言われるのですか?」

「我が王国は何世代にもわたって栄えてきたではないか。これは単に政治の力だけか?軍隊の力だけか?」

「大臣、何を言われたいのでしょうか?」

「我らには知恵も知識もある。そしてこれ以上、王を惑わされてもならない」

 その場に居る者は頷くが、大臣が何を考えているのか、そこまではわからない。

「あの者共が王を惑わすというならば、取り除けば良いだけのこと」

「しかし、罪の無い者を捕らえぬと、今さっき話したばかりでは?」

 最年長の大臣が一瞬、不気味な笑みを浮かべた。


 王都の郊外にある空き地はまだまだ多くの人で賑わっていた。

 演舞の最中に王が席を立つほどの舞踊はどの様なものか、それを一目見ようと多くの人が集まっているし、その集まっている人を客にしようと飲食の屋台が所狭しと並んでいる。

「夏至から何日経っているんだよ」

 一人の少年があきれた様子で独り言を言う。

「まぁまぁ、そう言う事は言わずに、さ」

 中年男性が少年をなだめるように言う。

 少年らは先に帰郷することにしていた。当初の予定では国王に舞踊を披露したら即、帰郷するはずだったが、王都の民に引き留められて夏至から三日も経っていた。それで農作業があるとか、家業を手伝いたいとか、それぞれの事情で数名が先に帰郷することとなった。

「町長によろしく言うといてくれぇ」

 帰郷する面々へ居残り組が声を掛ける。

 酒売りのじいさんが「酒、酒、美味しいお酒は如何かねぇ」と言いながら通り過ぎていく。


 その日の夜遅い時間、王都では体調を崩す者が次から次へと現れ、王都中の医師が夜中に叩き起こされ、発症した人の家を訪ねて診察していくのだが、郊外の空き地でキャンプしている舞踊団一行を思い出す医師は一人も居なかった。

 翌朝になって医師の一人が郊外にある空き地へ向かったが、団員のほとんどが苦しんでおり、発症しなかった者が介抱で走り回っていた。


 団員の中で数名が手遅れで助からず、王都の墓地で埋葬された。

 全員が回復するまでに一か月近くの時間が必要だったし、団員らの帰郷は予定よりも随分と遅くなった。

 翌年以降、この舞踊団は王都の夏至祭に参加しなかった。

 随分と前ですが、ドキュメンタリー番組を観ていましたら人類がいつ、どの様にして夏至や冬至を知ったのか、その様な内容の放送がありました。

 詳しい内容は忘れてしまいましたが、夏至と冬至を知って地域によっては合わせて春分、秋分、雨期と乾期などを把握して日々の生活に生かしていたそうです。

 例えば「春分から何日経ったから種をまこう」のような感じです。曖昧な記憶なので興味のある方は申し訳ございませんが、ご自身で詳細を調べて下さい。

 発掘される遺跡などでは夏至や冬至がわかるように何らかの目印を刻んでいたり、窓のようなものを設置していたような記憶もあります。

 中には日蝕や月蝕もいつ起こるかを把握して神の怒りでは無く、自然現象であると理解していた地域もあったようです。

 逆に日蝕や月蝕を神の怒りとして生け贄を捧げていた地域もあるようですが、私は生け贄になりたくないです。

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