第7話:深夜のレジスター、あるいは電子音の祓魔
深夜二時のコンビニエンスストア。ここは現代社会における補給基地であり、孤独な魂たちが光を求めて集まる灯台だ。そして俺、月岡蓮にとっては、時給一一1680円で「店員A」を演じるための舞台でもある。
「いらっしゃいませー」
抑揚のない声で挨拶し、バーコードリーダーを構える。ピッ、ピッ、ピッ。電子音がリズムよく響く。この単純作業は嫌いじゃない。世界を救う重圧もない。ただ商品をスキャンし、袋に詰め、代金を受け取る。俺が求めていた平穏は、この単調なビープ音の中にある。
……はずだった。
ウィーン。自動ドアが開き、入ってきた客を見て、俺はマスクの下で小さく溜息をついた。水島凛だ。大学の課題に追われているのか、少しお疲れモード。眼鏡をかけ、髪を無造作にまとめている。彼女は、ここが俺のバイト先だと知って通っているわけではない。単に大学と自宅の中間地点にあるからだ。つまり、俺はあくまで「近所のコンビニにいる、顔見知りの無愛想な店員」に徹する必要がある。
彼女は栄養ドリンクの棚を物色し、それから新商品コーナーへ向かった。そこで足を止める。
「あ、これ新発売なんだ。美味しそう」
彼女が手に取ったのは、真っ白なパッケージのペットボトル飲料。商品名『ピュア・ホワイト・ウォーター』。謳い文句は、「あなたの内側をキレイに漂白する」。
(……!)
俺の目が険しくなる。そのボトルから、微かだが、あの「人工的な油」の臭いが漂っている。『アクロマ』だ。奴ら、一般流通ルートに実験的な「洗脳試薬」を紛れ込ませやがったか。濃度は低いが、飲み続ければ思考が白く濁り、精神防壁が緩くなる。そうなれば、凛の魂の抽出も容易になるだろう。
凛は何も知らず、その毒物をカゴに入れ、レジへ向かってきた。他にもおにぎりやサンドイッチが入っている。
「こんばんは、先輩。夜勤お疲れ様です」
「……どうも」
俺は業務的に返しながら、内心で舌打ちする。この水を売るわけにはいかない。だが、「それは危険だ」と言えば不審がられる。「売り切れだ」と言うには、現物が目の前にある。
――ならば、レジを通さずに廃棄にする。
俺は淡々と商品をスキャンし始めた。菓子パン、ピッ。チョコレート菓子、ピッ。そして、問題の白いボトルを手に取る。
俺はボトルのバーコードに、ハンドスキャナーの赤い光を当てた。その瞬間、トリガーを引く指に魔力を込める。
読み取るのではない。書き換えるのだ。スキャナーの赤色レーザーに乗せて、極小の「分解術式」をバーコード情報ごとボトルラベルへ焼き付ける。
「(……書き換えせよ、クラス2レーザー)」
ピッ――ジュッ。
通常よりも少し長く、湿った電子音がした。俺の魔眼には、ボトルの中で蠢いていた白い成分が、レーザーに焼かれて瞬時に無害な水へと還元されるのが見えた。だが、中身を無害化しただけでは不十分だ。この商品自体を彼女の手から遠ざけなければならない。
レジの画面に『エラー:商品登録なし』の表示が出る。もちろん、俺が裏で操作した結果だ。
「……あー、すまん」
「えっ? どうしました?」
「この商品、リコール対象だったみたいだ。レジが通らない」
俺はもっともらしい嘘をつき、ボトルをカウンターの下(廃棄ボックス)へ放り込んだ。
「ええーっ、そうなんですか? 楽しみにしてたのに」
「メーカーの不手際だ。……中身が変質してる可能性があるらしい」
「うわ、怖い……。教えてくれてありがとうございます」
彼女は青ざめて胸を撫で下ろしている。素直で助かる。だが、飲み物がなくなってしまった。
俺は背後のホットウォーマーを振り返った。そこには、俺が補充したばかりの温かいほうじ茶がある。 アクロマの「冷たい白」に対抗するには、これくらい泥臭い「茶色」がいい。
「……代わりに、これならサービスする」
「えっ、いいんですか?」
「廃棄寸前だからな(嘘だが)。在庫処分に協力してくれ」
俺は熱いペットボトルを一本、袋に入れた。もちろん自腹精算だ。後で給料から引いておく。
「ありがとうございます! 先輩って、無愛想だけど実は優しいですよね」
「……業務マニュアル通りだ」
「ふふ、そんなマニュアルないと思いますけど」
彼女は会計を済ませ、温かいお茶を嬉しそうに握りしめて店を出て行った。自動ドア越しに、彼女が一口お茶を飲み、ほっと息をつく白い湯気が見えた。
俺はカウンターに肘をつき、大きく息を吐いた。深夜のコンビニにまで罠を張るとは、アクロマも手段を選ばなくなってきた。廃棄ボックスの中にある白いボトルを睨みつける。後でこれも十円玉同様、徹底的に解析してやる必要があるだろう。
「……いらっしゃいませー」
再びドアが開く音。俺は瞬時に「店員A」の顔に戻り、バーコードリーダーを構えた。時給1680円の戦場は、まだ終わらない。彼女の日常を守るためのコストとしては、俺のバイト代は安すぎるくらいだ。




