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現世転生した俺に、いまだ異世界がつきまとう  作者: titor


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第4話:漂白する者、あるいは黒衣となる者

 歌舞伎や演劇における「黒衣くろご」――通称、黒子のルールは絶対にして不可侵だ。全身を黒布で包み、背景かきわりに溶け込み、観客の視界から自身の存在を抹消する。彼らが動くのは、主役を輝かせ、舞台を滞りなく進行させるためだけ。もし黒子が自我を持ち、舞台上で目立ってしまえば、その瞬間に「日常」という名の劇は破綻する。


 午後十一時。駅前の喧騒が遠ざかり、古いナトリウム灯が等間隔に並ぶ住宅街への帰路。俺、月岡蓮は、その道を見下ろす雑居ビルの屋上にいた。コンクリートの縁に腰掛け、黒のパーカーのフードを目深に被り、夜の闇と同化する。


 眼下を歩くのは、本日の主役――水島凛サティアだ。バイトを終えた彼女は、コンビニの白いビニール袋をリズムよく揺らしながら歩いている。袋の中身は、おそらく自分へのご褒美のスイーツだろう。彼女のまとう空気は、暖色系の街灯に照らされ、温かな色彩に満ちていた。


 だが、その色彩を侵食する、異質な「白」が現れた。


(……来たな。『アクロマ』の掃除屋だ)


 俺は屋上のフェンス越しに、眼下の路地裏を凝視した。そこにいたのは、生活感の漂う夜の街にはあまりに不釣り合いな存在だった。


 全身を、(のり)の効いた真っ白な防護服ケミカルスーツで包んだ男。顔には無機質な白いフルフェイスマスク。手には、手術器具のような銀色のデバイス。まるで、最先端のバイオ研究所からそのまま抜け出してきたような、清潔すぎて吐き気を催す姿だ。


 ――秘密結社『アクロマ(無色階級)』。異世界の魔術を科学的に解明し、魂を「資源リソース」として管理しようとする狂信的な研究者集団。彼らが崇拝するのは神ではない。「漂白された完全なる秩序」だ。


 男は音もなく、しかし堂々と凛の背後に忍び寄る。彼が歩いた跡だけ、アスファルトの染みや埃が消え、不自然に「浄化」されているように見えた。その徹底した潔癖さが、逆説的にこの男の異常性を際立たせている。


(……チッ、面倒な機材を持ち出しやがって)


 俺は男の手元を見て、眉をひそめた。銀色のデバイスが微かに振動し、青白い蛍光灯のような光が漏れ始めている。 ――「概念隔離結界コンセプト・アイソレーション」。対象を周囲の因果律から切り離し、真っ白な無菌室へと「検体」として転送する拉致術式だ。あれが発動すれば、凛は悲鳴を上げる間もなく、日常から「消去デリート」される。彼らは凛を人間として見ていない。ただの「聖女の魂を宿した容器」として、中身を抽出して使い捨てるつもりだ。


 ――させない。彼女の鮮やかな人生を、貴様らのような無機質な色で塗りつぶさせてたまるか。


 俺は動かない。飛び降りもしない。ただ、屋上の闇の中から、右手の人差し指だけを突き出し、眼下の「白」へ照準を合わせた。


 俺は黒子だ。主役の前に出て剣を振るう必要はない。舞台装置ギミックを一つ動かせば、それで事足りる。


「(……穿うがて)」


 指先に、圧縮した空気を収束させる。イメージするのは、直径五ミリの不可視の弾丸。狙うのはアクロマの工作員ではない。あいつらの防護服には、直接攻撃を防ぐ魔術障壁が張られている。だから、狙うのはその頭上。古い酒屋の裏口に積み上げられた、泥と油と埃にまみれた「ビールケースの山」だ。


 生活感の塊。雑然とした日常の象徴。無菌室の住人が最も嫌悪するであろう、薄汚れた現実リアル


 ヒュッ。


 消音器サプレッサーを通したような、極小の発射音。圧縮空気弾は夜気を切り裂き、一番下のプラスチックケースの留め具を、正確無比に粉砕した。


 ガシャアァァン――!!


 物理法則に従い、黄色や赤のビールケースが雪崩なだれを打って崩落する。ガラガラと音を立てて崩れ落ちるプラスチックの濁流は、まさに結界を展開しようとしていた「白」の頭上へ、容赦なく降り注いだ。


「ぐっ……!? バ、馬鹿な、不確定要素エラーが……!」


 マスク越しのくぐもった声。予測不能な「日常のゴミ」の落下は、彼らの完璧な計算式には含まれていなかったらしい。男はデバイスを取り落とし、薄汚れたビールケースの山の下敷きになった。真っ白だった防護服に、ケースに残っていた腐ったビールや泥水が跳ね、汚らしいシミを作る。ざまあみろ。「漂白」の失敗だ。


「えっ……!?」


 前を歩いていた凛が、ビクリと肩を震わせて振り返る。彼女がイヤホンを外して見たものは、崩れ落ちたビールケースの山と、その下で呻いている白い服の変質者だけだ。青白い光も、隔離結界も、魔術的な脅威も、そこにはない。ただの、「酒屋の裏で起きた迷惑な事故現場」があるだけだ。


「……な、なに? 白い服の人……? コスプレした酔っ払い?」


 彼女はおっかなびっくり様子を窺い、歩み寄ろうとするが男は関わるのを避けるように小走りで去っていった。彼女の認識の中で、これは「非日常の襲撃」ではなく、「街の汚れ(ノイズ)」として処理された。恐怖ではなく、単なる困惑。それが俺の求めた結果だ。


 彼女の背中が角を曲がり、完全に見えなくなるのを確認する。俺はようやく、屋上の縁から身を乗り出した。


(……黒子は、幕を引く)


 俺はポケットからスマホを取り出し、警察へ通報ハッキングの信号を送る。『不審者が器物破損で逃走中。白装束の異常者。薬品所持の疑いあり』。


 俺は空になったコーヒー缶をゴミ箱へ放り投げた。カラン、という軽い音が闇に吸い込まれる。


 誰も助けていない。誰も戦っていない。ただ、薄汚れた日常が、潔癖な狂気を飲み込んだだけ。


 俺はフードを目深に被り直し、非常階段へと足を向けた。『アクロマ』がどれほど清潔で高尚な理想を持っていようと、この街の泥臭い「黒」には勝てない。俺がいる限り、彼女の世界は一ミリたりとも漂白させない。


 遠くから聞こえるサイレンの音を背に、俺は夜の闇へと溶けていった。主役の輝きを際立たせるため、黒子は静かに今日の仕事を終えた。


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