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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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舞踏


 園遊では木の下の芝生の上にじゅうたんを敷き、ごちそうを並べて酒を飲みながら舞い歌う。チベット人は舞踏をするのも見るのも大好きだ。

 宴に一層の楽しみを添えるのが景色だろう。キーチュ川から引かれた小川のほとりに、子どもたちが戯れている。大人も一緒になって遊ぶ様は無邪気で、いかにも楽しそうだ。

 はるか向こうの峰は千古の雪を頂き、泰然たる雄姿を現わすのは、えもいわれぬ眺めである。これこそ神の国(ラサ)の名にふさわしい。

 貧しい者も園遊となればやはり舞踏をする。けんか好きが集まっているけれど、愉快に過ごし、何も起こらない。

 宴は園遊のほかは冠婚葬祭などで開かれるが、財産争いのようなこともあって、園遊ほど清らかな遊び方にはならない。


 さて、チベット人は自分の利害以上に、国の利益を考える者はとても少ない。というよりも国家という概念のある者がほとんどいない。今日の政治家などは、国家の利益を犠牲にしても自分の利を謀るのが常だ。

 中には仏教を維持するために自己犠牲の精神を持っている人がいないでもないが、ごく少数だ。上の者がこうなのだから、下の者はもっとひどい。

 ただ、チベットにとって仏教は大事なものだから、これを維持しなくてはならないし、反対すれば殺されるくらいに思っている。だから政府のやることは仏教を害することのほうが多いくらいなのに、人民を従わせるために仏教を根拠にする。仏教の名で国民を虐げる事例もたくさんある。


 チベットの婦人は自分の利益ばかりを優先する。その婦人に育てられた人々はそれを越える考えに至るのは困難だろう。国家という大きなものと自分が利害関係にあることもよく分からないでいるように見える。

 こうした国と外交しようという外国は、大臣らを籠絡してしまう。とはいえ大臣に賄賂をやったからといって必ずしも外交が成功するという保証もない。チベットではすべて利害の感情の問題で揺れ動くので、賄賂もあてにはならないのだ。


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