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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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輸出入品と商売


 ネパールへの輸出品は羊毛、ヤクの尾、塩、硝石、羊毛布などだ。西北方のシナ地方やモンゴルへは多く羊毛布である。

 モンゴルへは大半が経典で、仏像、仏画、仏具なども輸出している。ただ近頃の仏像仏画は美術的につまらないものが多い。みだらな男女和合の形をしているものばかりで見苦しい。

 慧海(えかい)にとってチベットの短所は四つある。一は不潔、二は迷信、三は多夫一妻などの不倫理、四は不自然な美術。長所は強いて言うならラサ府やシカチェの気候、誦経の声、問答が活発であること、古代美術くらいだろう。


 輸入品はインドから最も多い。本堂の飾りに使われる無地の羅紗のほか、黒蝦色の羅紗だ。絹ハンカチ、ビルマ縮緬、ベナレス金襴、薄絹、木綿類などもある。ラサで布を売る場合は四角に折り曲げた「カ」を単位とする。

 けれどもチベットの羊毛布は、自分の手を一ぱいに拡げて、これで幾らという売買の仕方をする。大柄な人でも小さな人でも値段は同じだ。また肘から指の先までという単位もある。インドからの輸入品はまずこんな売り方はしない。


 チベット人は懸値を言うので、初めから一定の値段で売る店はラサでは一つもない。信用ある店では1,2割だが、3倍や5倍をふっかける店もある。

 品物を買うと、店主が「この品を買って病気もなく無事に日々を送り、家運繁盛してまたこのような品を求め、さらには倉を建てられるようになりますように」とモンラム(願い事)を言う。

 買ったのがお経であれば、お経を恭しく両手で持ち上げ、「あなたがこの経文の真意をよく解し、正しく実行し、その智慧と道徳で一切衆生の大帰依主となり一切衆生を利益されますように」と熱心に願い立てる。

 客は支払う時に、銀貨をちょっと舐めて拭き、さも惜しそうに渡す。その銭についている福運を吸い取ってから渡すためだ。


 中国からの輸入品は絹布類が多く、その他銀塊、薬種等もあるが、大部分を占め、最も消費されるのは茶である。ラサ府に入るものだけでも25万円程はあるだろう。

 東部チベットには、ラサ府に入るよりなお多くが輸入される。東部には住民が多いからだ。チベット人はいかに貧乏でも茶がなくては一日も居られない。茶を買えない者は豊かな人の飲みかすを煎じる。

 茶2斤を固めた塊1個の値段が2円75銭で、質の悪い番茶で、葉ばかりの茶は5円だ。ラサ府で2円75銭の茶は、西北原では3円75銭ほどになる。


 ブータンからは山繭の布、羊毛の広幅布、木綿糸の広幅布類が輸入される。インド・カシミールやネパールからは穀類、干しぶどう、乾桃、乾棗、薬種のほか、宝石類がある。大部分を占めているのは珊瑚珠という髪を飾る宝石で、質の良いものは金剛石よりも尊ばれる。小指の頭程でも1200円もする。

 珊瑚珠の多くは虫の喰くったような傷物が多い。色は赤、薄桃色を勅任官らが用いる。大きいのは1個120円ほどする。しかし質の良い物は中国に行ってしまう。

 珊瑚珠は高いので、身分の低い者はガラス玉を買って数珠にする。日本製の偽珊瑚珠もたくさん入っている。偽物とはいえ相当の値段で売られており、商人がカルカッタから買入れて来る。インドからは銀塊、銅、鉄、真鍮も輸入され、西洋小間物と日本のマッチも入る。


 チベットは輸入品が多く、輸出品が少ないので、金がなくなって困るだろうと思うだろうが、そうではない。金はモンゴルから多く入ってくるのだ。ラマへのお布施である。これがチベットの国庫に入り、これまでいくぶん補われた。

 けれども日清戦争以来、モンゴルからあまり金が来なくなった。さらに各国連合軍が北京に入ってからはほとんどチベットに金が入らなくなった。

 チベットに留学中のモンゴル人の僧侶で、学費が届かず学業を中断している者も少なくない。モンゴル人は昔、学問だけしていればよかったが、今は商いをしなくては食を得られない哀れな境遇になっている。


 チベットは政治的に鎖国をしているが、通商では国を閉ざすことはできない。もしそれをすれば、必ず大飢饉となるか内乱が起るだろう。

 最近は他国と貿易するに従って生活の質が上がり、貴族も体面をつくろうようになってきたので金がかかるようになった。商売をしないと金は得られないが、内地でやっていても到底間に合わない。そのため資産家や僧侶は中国やインド、ネパールへ交易に出かけるようになった。

 もし鎖国で商売ができなくなれば日用品も手に入らず、有り余る羊毛を売りさばかなくてはならくなる。もし自国だけで消費しようとすれば、需要過多で価格が下がり、遊牧民は金を得られない。ただでさえ食物が高騰しているので、すぐさま飢饉が起こるだろう。


 このように商売の必要性が高いので、農民も商売をする。夏は農業をするが、冬は北方の沼塩地に塩を買いに行って南に売りに出かける。僧侶は大寺院が商隊を組んで交易に出る。

 政府も商隊を組んで北京やカルカッタへ出かける。華族は商隊を出す家も、領地からの上がりだけで暮らす家もある。

 ところでチベットでは変わった文化があって、華族の家などに行って珍しいものがあると、無遠慮に「これは幾らですか」と聞くし、華族の側も平気でそれを売ってしまう。このように誰でも商売をする。とにかく商売しなくては安楽に過ごせぬという気風が、チベットには一般に行き渡っている。


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