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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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教育の奨励法


 政府の学校へ入学した場合は暗誦、習字、算数の三つを学ぶ。時間の多くは習字に費やされ、小石や貝殻を使って勘定する算数や、ごく簡単な経典の暗唱などを学ぶ。

 チベットでは文法よりも修辞学の方が必要なのだろう。少し目上の人への書面など、むやみに言葉で飾り立てるからだ。上書文に至っては経典にも見つからないような難しい文字を集めて、誰しもが読めないものをこしらえて喜んでいる。

 修辞学の授業では1枚の文章を1日がかりで読まなくてはならないらしい。一般に通じない文字を知るのが教育というのはおかしな話である。

 難しい修辞学は子どもには耐えがたい。暗誦の文章も難しいので内容を覚えるのも容易ではない。覚えさせるための方法は体罰なので、教師と生徒は看守と罪人のようである。


 前大蔵大臣はかなり教育熱心な人だったが、やはり子をたたいた。殴るのは平たい竹で、左の手のひらを30回も打つ。慧海(えかい)が殴るのはよくない、精神を育てるのが教育だと十分説明すると、その後は少し小言をいうくらいになったそうだ。よその家では殴るだけでなく食事を取らせなかったり一晩中縛っておいたり、ただ厳格に罰している。

 一方で僧侶と弟子は違う。教えても覚えない弟子は、接吻するなどして愛する。これでは愛に溺れた人のようだ。学校と僧侶の中間、慈愛を施しつつ厳格な態度を維持するようなことができないものだろうか。


 僧侶の教育がこれなので、良い人物が輩出されることは少ない。成長は暗誦に掛かっている。15歳くらいの子どもは1年間に300〜500枚を覚えて経文の試験を受ける。それもラマからの口伝えでただひたすら覚えるのである。

 18〜25歳くらいには500〜1000枚を暗誦する人もいる。慧海なら半年に50枚暗誦するだけでもやっとだろう。

 チベットでは殴るだけでなく、言葉の暴力も教育法として推奨されている。畜生、豚、乞食、餓鬼など言う言葉は、大きくなって自分の子を教えるときにも連鎖するので浅ましい。


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