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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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僧侶の目的


 チベットの三つの大学にはチベット人ばかりではなくモンゴル人や、カムの人もいる。チベット人は外見はおとなしく、ものをよく考えるが、勉強が嫌いで怠惰で不潔である。

 わざわざ遠いところをやってきたモンゴル人は非常に勤勉で問答のやり方が激しい。500人いればクズは100人しかいない。チベット人なら450人はクズだ。ただモンゴル人は怒りっぽく、自分の種族に対する高慢の心が強く、狭量さを哀れまざるを得ない。

 カムの人は他に比べればよほど良い。もっとも、強盗の本場であるので短気ではあるが、モンゴル人のようにちょっとしたことでは怒らない。体が強壮なのも一番で、正義心もある。おべっかなどを使われるのは大嫌いなたちだ。一方、モンゴル人はおべっかを言う。チベット人はもっとひどい。

 カムの女は情がなく、愛らしいところはない。チベット人の女は表面上はおとなしく見えても、心に恐るべき剣を秘めている。


 僧侶や学者の理想は、名声を上げたい、財産を得たいというもので、衆生済度のために仏教修行をしたいという者はいない。

 なぜならチベットで僧侶や学者の価値は、学識や徳行から判断するのではなく、財産の有無によって決まるからだ。だから僧侶は商売や農業などいろいろやるし、お布施も蓄える。

 貧しい修学僧侶でも、苦労を糧にして社会のために資する、という志を持つ人には出会わなかった。


 僧侶は20年も勉強すると博士になる。それまで少なくとも500円くらいの金がかかる。学部の全員に、肉粥を振る舞うための費用などだ。ここまで来ると、金を貸してくれる金持ちもいる。博士となれば布施が増えるからだ。こうして博士となった者は一生掛けて借金の返済をする。



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