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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第一章 出国からラサまで
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前大蔵大臣と最高僧


 大蔵大臣の家人たちは病気になると皆、慧海(えかい)の所に通った。そして自身の信仰の力で勝手に治ってしまうのだった。

 それ以来、大臣と懇意になった。大臣は博識な上、優れた政治家で、外交の難局を遺憾なく処理できる人だ。この時62歳で、背は2メートルを優に超える長身で、傍まで行くと、慧海は胸ほどまでしかない。慧海はこれほど大きな人を見たことがなかった。

 人を見る才能があり、世渡り上手なのに親切で、人を欺くことはしない。ただ唯一の欠点を言うなら、若い時にこの尼僧と一緒になってしまったことだろう。尼僧共々、涙を流して、若気の至りで僧侶の道を全うできなかったことをことを悔いるものだから、根は悪い人ではない。

 彼は「あなたはセラだけでなくラサ府の病人も診ているのでは、書物を読んでいる暇がないだろう」と慧海を心配した。

 さらに、「この後そんな風にやっていると第一、身が危ない」とも。曰く、慧海がセラに来てからというものチベットの医者が食えなくなったため、慧海に毒を盛らんとも限らないということだ。

 大臣は「衣食さえあれば十分というのなら、私が差し上げましょう。住まいも寺に居るよりは気楽な部屋を用意しますので、住み込んで勉強すればいい。ここに居ればめったなことでは呼ばれないでしょう」と申し出てくれ、慧海は感激した。チベット仏教の勉強に来たのに、それが思うようにいかないのは残念に思っていたので、なおさらだった。

 そこで、セラから食料や日用品を大臣宅へ運び込み、小僧の留守番を置いて、大臣の別殿へ住み込むことにした。


 慧海の部屋はさほど広くなかったが、貴族の御殿風に作られ、内装は実に立派だった。敷物は緑地に金でチベットの花模様が描かれており、唐木の机や仏壇もある。その横の大きな御殿は、三階に新大蔵大臣がおり、二階に前大蔵大臣チャムパ・チョェサンがいる。こうした静かな場所で、かつ大臣の家であるから、セラの友人たちは恐れて訪ねてこない。


 ただ、教師のところに通うのが大変になった。だが、ここで大蔵大臣の兄で、チー・リンボチェという人に巡り会えた。大臣とは父親が違って、中国人の子だそうだ。彼はセラ出身の67歳で、前年にガンデン寺で、チベットで最も高等な僧の位に就いた人物だった。

 チー・リンボチェとは坐台宝のことで、新教派の開山ジェ・ゾンカーワが座った坐台がガンデン寺にある。この坐台に座ることができるのは法王とチー・リンボチェのみである。

 チー・リンボチェとなるには仏教を学んで博士となった後に30年ほど密教の修行をする。むしろ実地の学徳でいうと法王よりも尊い方であり、慧海は彼を師匠とする幸運を得たのだ。これも大臣の厚意によるものである。


 驚くことにチー・リンボチェは、慧海を一見しただけで、素性を見破ってしまったかのようだった。ただ当分、害はないだろうからここに居るがいいということを暗に言った。慧海は怖くなったが、想いが通じたのか、仏教のことを真剣に教えてくれた。慧海がこれほどの感化を受けた人物は彼だけである。


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