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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
一章 出国からラサまで
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下等の修学僧侶


 上等僧侶は所属の寺から良い住まいをもらっているだけでなく、別荘を持ったり自分の寺を持っていたりもする。その金は自分の財産から供給される。家には5〜80人ほど召使いがいる。中から執事や会計主任、商将などを選び、優雅に暮らしている。

 一方、下等な僧侶は気の毒な境遇である。

 修学しないなら農業の手伝いに行ったり内職をやったり、護衛兵になったりして金を稼げるが、下等の修学僧侶となれば学資金もなければ、勉強があるから稼ぐこともできない。信者からの布施()と俸禄を2、3円集めたところで到底生活できない。

 朝は大本堂へ行けば茶は飲めるが、肝心の麦焦がしはもらえない。問答を学んでいる期間は茶がもらえても、問答を一月やれば一月は休んで下調べと復習をしなくてはならない。教師の所に通う必要もあり、月に五十銭ぐらいの月謝が必要だ。二円の金は麦焦がしと月謝で消えてしまう。上等僧侶の飲み残しなどをもらってくるが、火をおこすヤクのふんが手に入らない。

 そういう人の財産は羊の皮と木のお椀が一つ、数珠と敷物一枚きりだ。その敷物が寝床にもなる。一番重要な財産は問答の教科書だ。5、6冊は持ち、教課が済むと売ってまた新しい教科書を買う。

 大抵は部屋に3人くらいで住み、土鍋一つを共用で使う。チベットの厳冬の日、どうやってここで過ごすのかと思う。慧海が病気を診にいくと、もう薬代を取るどころではなく、金を分けてやりたいくらいになる。これが下等僧侶の生活である。

 彼らは布施のない時、ほとんど食物にありつけず、3、4日何も食べないでいることもある。慧海はできるだけ金を分けてやったりしたので、貧しい修学僧侶も慧海に大いに敬意を示すようになった。


 ところで慧海は中国の雲南省から来ている天和堂から薬を買い求めている。主人の李之楫の家をたびたび訪ねた。

 チベット人は薬を煎じず、全て粉にして飲むので、薬剤を粉にしてもらうためである。慧海は上客なので、主人は景岳全書という医学書を貸してくれた。それにより大抵の病人を診ることができるようになった。


 家には部屋もたくさんある。ラサには中国の薬屋が3店あるが、この天和堂は一番大きく、主は30歳くらいで、夫婦は家族ぐるみで慧海に良くしてくれた。というのも、慧海のところに食料がよく集まるので、それをよくやっていたからだ。

 上等な菓子や酸乳、白砂糖、干しぶどうなどは必ずそこに持って行ったので、子どもたちは大喜びする。

 この親密な付き合いが、慧海がチベットを出る時に大きな助けになったのだが、それは後の話である。


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