侍従医の推挙
慧海は前大蔵大臣の家に身を寄せるようになった。大臣から、以前の法王について聞いた。どうも法王の近臣には、奸智に富んだ大罪人がはびこっているようだ。
彼らは表面上は忠義を尽すように見せかけているが、何かあれば「誰それが法王に不敬を犯した」などと言い立てて、忠臣を傷つける。この前大蔵大臣も、彼らに退けられた一人だという。
法王は食事するにも毒が入っていないか常に注意が必要だ。実に気の毒である。
ただ今の法王は決断力のある方なので、何度か毒殺に失敗して死刑になった者もいるので、佞臣たちも恐れて震えているそうだ。とはいえ法王が安全というわけではない。
今の法王は若いのに民の情実をくみ取る。地方官吏には眼を光らせているので、官吏の中には法王を毛虫のように嫌う者もいる。一方、民たちは菩薩か仏のように信じている。
慧海は大蔵大臣の家に住むようになってから、法王の離宮の内殿を拝観することが許された。建物はチベット、中国、インド風の3つが融合していて、庭は築山があって中国風、広い芝の庭の真ん中にちょいと花があるのはインド風だ。御殿の内装はチベット風で、屋根は中国風、インド風のところもある。
庭にはいろんな石や樹木があり、花もたくさん軒先に鉢植えてある。内殿のたたき庭は宝石が花模様に敷かれ、その横の壁にはチベットの高名な絵師の絵があり、正面にはチベット風の法王の御座があって、その横に厚い敷物がある。そこには中国製の花模様のじゅうたんが敷かれ、美しい高机が置かれている。床の間はないが、茶箪笥が置かれ、ジェ・リンボチェの金泥の画像がかかっていた。
慧海はその後もたびたび侍従医長に招かれ、医学の話をした。その頃には慧海も中国の医学書をだいぶ読み込んでいたので、どうにか話がかみ合った。
侍従医長は慧海を気に入り、ぜひとも侍従医に推挙したいという。慧海は「私は仏教を修行しており、ラサ府には長くいられない。インドへサンスクリット語を学びに行きたいと考えている」と言うと、侍従医長は「あなたに外国へ行かれてしまっては、ラサ府によい医者がいなくなる」と言った。
侍従医長が、「仏道修行の目的は衆生済度であろう。ここで医者として人の命を救い、仏道に導くのも一つの道ではないか」と言うので、慧海は「医者が人を救うのはこの世の苦しみだけで、衆生の業の苦しみを救うことはできない。僧侶としてこの無明の病を癒やすため修行をするためにインドへ行くのだ」と断った。
すると侍従医長は「もし無理にでもインドへ出かけるというのなら、法王が命令を発して、あなたを国にとどめるようにするでしょう」と言った。
そこでこの話は終わったが、慧海は気付いたのだった。これはラサから出るときに苦労するだろうということに。




