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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第一章 出国からラサまで
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法王に召さる


 慧海(えかい)がセラ大で学んでいたある日、小僧同士がけんかをして、二の腕が外れてしまった。慧海が小僧の泣き声を聞きつけて行くと、その小僧を愛する師匠は心配し、「これでは一生、手が不自由なままだ」と心を痛めていた。チベットには骨接ぎの知識がないからだ。慧海が脱臼の治し方を知らないのかと聞いても、「そんなうまい事が出来るものか」と言う。

 仕方がないので慧海が小僧のそばに行き、頭と左手を押さえておいてもらい、難なく右手をもとの場所に収めてやった。筋肉が少し腫れていたので針治療をしてやったらそれもすぐに治った。


 これが評判になり、病人がどんどん慧海を訪ねてくるようになった。これでは勉強ができないし、薬もたりない。が、断れば断るほど人は訪れて、拝まんばかりに頼むのだからどうしようもない。

 中国人の天和堂という薬屋に行って薬を買ってきて処方してやると、不思議な事にかなり治った。死病とされる水腫の薬の調合も、チベットの隠者から教わっていたので10人中、7人は治った。


 それがラサ市中に知られるようになり、しまいにはシカチェにまで評判が伝わった。3日ほどかかるような場所から馬を連れて慧海を迎えにくるようなこともあり、しかも慧海は金を取らないので「本当の薬師様が現れた」などと噂が広まった。

 チベットでは結核が多い。とても治らない者には薬をやらないが、代わりに慧海は座禅と念仏をすすめ、死に際に迷わないよう説法してやった。

 すると、慧海が薬をくれれば治るが、くれなければ死ぬと噂が立った。自分が死ぬのを分かるのは気持ちが悪いと、逆に来ない人もいたそうだ。


 チベットでは病気になると、まずどの医者にかかればいいかと占ってもらう。占い師も自分が指示した医者のおかげで病気が治れば評判が上がるということで、どんどん慧海を指名するようになった。政府の高等官吏や高等僧官にも広まり、馬が慧海を迎えに来ることもあった。

 そうこうするうちに法王に評判が届き、慧海は法王から招待を受けた。チベットでは法王に会うのはかなり困難だ。通りかかるのを拝むくらいはできるが、じかにお会いして話をするなどは高等僧官でも難しいので、慧海にとってはこの上ない名誉だった。


 法王はポタラ宮にはおらず、ノルプ・リンカという離宮にいた。夏の間はここで過ごすのだが、今の法王は離宮の方が気に入っていて、宮殿にいることのほうが少ない。

 離宮に向かう林の中の道を300メートルほど進むと高い石塀があり、大門をくぐると、道沿いに白くて丸い郵便箱のようなものが2メートルおきに立ててあった。これは香をたくためのものだ。

 庭には大木が青々と茂り、しばらく進むと石垣の外に僧官が住む石造の官舎がたくさん建っていた。石垣の辺りには大きなチベット猛犬がほえていた。法王は犬好きで、強そうな犬を献上するとかなりの賞典がもらえるのだとか。

 法王の御殿へ入る門は南向きに建てられ、30メートルほど隔てて大きな家があった。慧海はまず、法王の侍従医長、テーカンの屋敷へ連れて行かれた。


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