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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第一章 出国からラサまで
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入蔵の道筋


 慧海(えかい)はインドで元日を迎え、例年通り皇室の万歳を祝するために読経し、それから「ヒマラヤに 匂ふ初日の影見れば 御国の旗の光とぞ思ふ」と詠んだ。

 この1年はよくチベット語を学んだ。いよいよチベット入りをしようと決めた。明治32年のことだ。

 さてどのルートを取るか。いろんな道があるが、関所があるか、番兵が見張りをしている。サラット居士はニャートンの関所で懇願すれば通してくれるというが、それは無理だ。

 ブータンを経由するルートよりも、ネパールを通った方が仏跡もあり、サンスクリット語の経典もある。仮にチベットに入れなくてもブータンよりネパールを通ったほうが慧海にとっては有益だ。


 すぐにネパールへ出発したいところだが、ダージリンの人たちは慧海がチベットに行こうとしていることを知っているから危険だ。そこで慧海はサラット居士にだけ出発を伝え、他には日本に帰国すると告げてダージリンを出て、インドのカルカッタに向かうことにした。

 1月5日の出発の時、日本から630ルピーが送られてきた。また歌を詠む。

「いざ行かん ヒマラヤの雪ふみわけて 法の道とく国のボーダ(チベット)に」


 カルカッタで旅の準備を整えた慧海は、ネパール政府の書記官で、チベット公使を務めるジッバードルから紹介状をもらった。

 1月20日にはブッダガヤに立ち寄り、ダンマパーラ居士からチベット法王あての仏舎利と経典一巻を託された。夜には釈迦が悟りを開いた菩提樹の下で我を忘れて座禅し、「菩提樹の 梢に月のとゞまりて 明けゆく空の 星をしぞ思ふ」と詠んだ。


 2日後、汽車でネパールに向かった。一昼夜経てネパール国境に近いセゴーリ駅に着いた。ここから2日ほど行けばネパールだが、ここは英語もチベット語も通じない。慧海はネパール語を学ぶため駅にとどまり、郵便局長をしているベンガル人に付いて言葉を学ぶことにした。


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