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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
一章 出国からラサまで
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遙かにラサを望む


 慧海(えかい)が出会った兵士はネパール公使を守護するためにラサ府に滞在していたそうだ。ところが母親が恋しくなって、一旦帰国するためシカチェまで行った。だが今度はラサ府にいる内縁の妻を思い出したので、また後戻りしているという。トンマな人である。


 慧海は、ネパール政府からラサに何人の兵隊が行っているのかと聞くと、25人ほどで、今から5年ほど前から駐在しているそうだ。それは13年ほど前に起きた事件がきっかけだった。

 ラサにはネパールのパルポ族の商人が300人ほど暮らしており、布や珊瑚珠、宝石や米や豆などを商っている。

 ある時、商人の店で、ラサの夫人が珊瑚珠を盗んだとして騒動になった。商人は嫌がる女を丸裸にして探したが、結局何も出なかったという。それを聞いたセラ大寺の僧侶は、セラの僧侶1千人ほどを集めて兵を組織し、パルポ商人を殺そうと準備した。が、その情報がラサに流れ、パルポ商人は逃げ出してしまった。

 刀をひっさげてラサに侵入したセラの僧侶は、商人の家から財産を奪った。ラサのならず者も加わって、乱暴狼藉を働いた。パルポ商人が翌日、家に帰ってみると財産は全て奪われ、23万円ほどの損害が出たという。

 これがチベットとネパールとの国際問題になるのに5年ほどかかり、チベット政府が損害賠償をすることになった。以来、ネパールの兵隊が置かれるようになったという。外交の談判をしたのは大書記官ジッバードル、慧海にネパールのラマへの紹介状をくれた人である。


 慧海たちはゲンパラの急坂を登り、山の頂から東北の方を眺めると、ブラマプトラ川の大河に流れ込んでくるキーチュ川が見えた。その川沿いのはるか向こうにズブリと立つ山がある。

 その山の上で金色の光を放っているのが、ラサ府の法王の宮殿ポタラである。少し向こうに市街や金色屋根の堂が見える。

 山を下りてパーチェ駅で泊まり、翌3月17日にブラマプトラ川の岸に出て、チャクサム(鉄橋)という渡場からインド風の箱船に乗って川の北岸に渡った。夏は水量が少なく箱船が使えないので、ヤクの皮を縫い合わせて漆で補強した船を浮かべて渡る。その船は一人で背負うこともできる便利なものだ。


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