防霰奇術
だいぶ暖かくなってきたので、3月14日、慧海はドルジェ・ギャルポ(金剛王)の家を離れることにした。朝から家族に三帰五戒を授けると、布施として金と法衣をもらった。衣は羊毛でこしらえた赤い立派な仕立てで、買えば三十五円ほどするそうだ。下僕たちが荷物を持って送ってくれた。
そこから東に進み、ヤクチュ川に沿って15キロほどのチェスン駅に泊まった。翌日は狭い山道を行き、少し広いところに出て左手の山を見ると、頂上に白い堂が見えた。何だろうと同行の人に尋ねると、防霰堂だという。
チベットの農業にとって最も恐ろしいのが夏のあられで、降れば小麦がだめになってしまうのだ。そのため、あられを防ぐ方法を考えなくてはならない。
チベット人は信心深いので、ある修験者が、あられは八部衆の悪神が降らせているのだという説を唱えた。悪神をやっつければ、あられを防げるという。多くは古派の修験者だ。
彼らによると、悪神たちは冬の間に雪を固めてあられを製造し、それを夏まで貯蔵して空中から投げるらしい。あられを防ぐには、泥を固めて呪文をかけた防霰弾が必要だという。
チベットでは修験者をンガクバ(真言者)と呼ぶ。血統を重んじるので、新派のラマのように誰でもなれるものではない。一村に一人ずつおり、冬は祈祷やまじない、幸福祈願をして、呪いの類いもやる。そして夏になるとあられと戦うのだ。
ちなみにチベットにはヤルカー(夏)、グンカー(冬)の二季しかない。3、4月に麦の種まきが始まると、修験者たちは防霰堂に通い、6月ごろになれば住み込んで馬頭妙王なり執金剛妙王なり剛蓮華生なりに祈祷をする。
雲が迫ってくればもう大変。修験者はいかめしく岩端に立って真言を唱えて数珠を振り回して戦う。雲が雷を伴ってあられを降らしにかかれば、修験者は必死になって手製の防霰弾を虚空に投げつけ、狂気のようにあられと戦う。
幸いあまり降らなければ修験者の勝ちとなるが、あられがたくさん降ってしまえば刑罰を受けなくてはならない。