不潔なる奇習・正月の嘉例
風習などの解説です。読み飛ばしても大丈夫です
チベット人は大便をしても尻を拭かない。インド人のように水で洗うこともない。これは法王も羊追いも同じで、紙で拭こうものなら不審に思われる。
テントには便所がなく、犬が人糞を食べる。体を洗うこともなく、洗えば福徳が落ちるとしてあざける。
体の色は手のひらと目以外は真っ黒である。手が白いのは麦粉を練るからだ。
嫁取りの時は体や着物が垢で黒くなった娘は福相といって喜ばれ、白い娘は断られてしまう。僧侶は顔や手を洗い、着物もきれいにしなくてはならないと戒めがあるが、それでも程度はいろいろだ。
長く住んだツァーラン村でも不潔な習慣に慣れようとしたものの、やはり嫌なものは嫌なのである。
代わりに慧海の心を慰めてくれたのが景色だ。チベット暦の正月前、お経を読みながら外を眺めると雪が降っていた。そして柳の枝に雪が積もり、鶴が愉快そうに散歩している。
「雪降りて枯木に花は開きつる さまをよろこぶ群鶴の声」「わが庵の経ふみよむ窓に鶴の来て 道ときつると妙になのれる」と詠んだ。
チベットの暦は政府の4人の暦官が石や貝殻で鑑定してこしらえる。信じがたいことに4人の暦が一致することはまれで、このうち良いのを2つ選んで、占いでどちらか一つをとって決めているそうだ。
元日の行事は政府の暦に従って行うが、これが本当の元日かどうか。中国の太陰暦の元日とチベットの元日が同じになることはまれである。
元日は朝から麦焦がしを山のように盛り、その上に五色の絹を旗のように挿す。麦焦しの中にはバターと乾酪が入っており、干しぶどう、桃、柿がまいてある。
主人が右手でそれをつまんで何やら唱えながら三度空中にまき、そのいくつかを手に取って食べる。それから妻、客人から下僕までが順にやり、茶と小麦粉を棒状にこねた揚げ物と、瓦せんべいのような揚げ物を分けて食べる。盆はおそらく銅製で、白メッキがしてある。
明けましておめでとうというような挨拶はなく、ただ食べるのが楽しみであり、干し肉、生肉、煮た肉もたくさん食べる。
チベットに川魚はいるが、魚を殺すのは罪深いといって余り食べられない。ヤクや羊、ヤギが主で、中国人と交流のある人は豚も食べる。
朝の式が終わると10時頃にまた菓子を食べる。午後2時に昼を食べ、よい家なら卵入りのうどんを作る。だしは羊の肉などだ。夜には肉の粥をたく。小麦団子と肉と大根、乾酪が入る。朝にこれを食べることもある。
これがチベットのごちそうで、普段は麦焦しをこねて食べる。栄養価が高いため、米よりも喜ばれる。
正月を終え、経を読みながら景色を眺めていると、白と黒の羽根が交じった小ぶりなカラスのような鳥がやってきた。これをキャーカという。
慧海が見ていると、大将格の鳥がやってきて、一羽を食い殺してしまった。どうも鳥同士で喧嘩をしていたのを怒ったようだ。ひどいことそするものだと宿の主人に言うと、鳥の法律は人間以上に厳格らしい。「鳥の世界では、法律を馬の尾の先ほどわずかに破るだけでも、人の法律でいうと大木ほどの大きさに相当する」ということわざを引いて教えてくれた。