二ヵ月間の読経
1月12日の早朝、慧海はポーターを頼んで東南の雪山を渓流沿いに登った。20キロほど行くとチョェ・テン村に着いた。この村には温泉があり、川底の至るところから温泉が湧き出ていて湯気が上っている。
その川に沿って15キロほど行くと柳林の間にマニ・ハーカンという美しい寺があった。マニは真言を書いた紙を筒状にして、中心に心棒を通したものでくるくる回せるようになっている。ジェ・ゾンカーワという人が作り、チベットではとても尊ばれている。
堂守の僧侶は、慧海の顔を見るなり、人相を見て欲しいと言ってきた。慧海は戒めになればと思って「あなたは金や品物が入ってきても損をさせられたり、災難にあったりして、いつも借金に苦しむようだ」と言ってやると、なんとそれが的中していたらしい。
驚いた僧侶は、近所で一番のドルジェ・ギャルポ(金剛王)に慧海のことをすっかり話したところ、その家の奥さんと子供が夜にまた人相を見てくれとやってきた。慧海が子供を見ると、どうも生命力が弱く、死にそうに見える。チベット人は家畜の殺生をすることが多いので、慧海は「どうもこの子は寿命がない、誠に気の毒だ」と殺生との因縁を説いた。
どうにか助ける方法はないかと聞かれたが、「お経をたくさん読めばどうにかなる」と答えておいた。
翌朝、偶然にもその子供が重い病気になり、家人が「どうか経を読んでほしい」と頼みに来た。家には一切蔵経がないので家人はロン・ランバ駅に経典を借りに出かけ、慧海は座禅をして待った。
すると勝手口のほうで何やら女の泣き声が聞こえた。喧嘩をしている様子もない。そのとき、家の嫁が慧海の元に走ってきて「坊っちゃんがあなたの言った通り死んだ。助けてちょうだい」と願った。
子供を診ると、脈は弱く、首筋が硬くなっている。脳の血流が増加したのだろうと思い、冷水で頭を冷やし、首筋をマッサージしてやると、目を開きかけた。それから脳髄、脊髄の筋肉をもみほぐすと、すっかりよみがえった。老婆の喜びは大変なもので、どうか長く逗留して経を読んでほしいと告げられた。
慧海はここで2カ月逗留した。助けた子供から慕われ、経を読んで子供を連れて遊ぶのが仕事になった。この無邪気な時間を楽しんだ一方で、嫌なこともあった。
家には下僕が20人ほど居て毎日、茶を運んでくるが、その茶わんは洗われていない。自分の飲んだ茶わんなので、きれいだというのだ。汚れを拭いてくれというと、鼻をかんだ袖口で拭いてくる。あまりやかましく言うと疑われるので慧海は仕方なく我慢した。