異域の元旦
慧海を呼び止めるのは大男2人だった。どちらも刀を持っている。何の用かと尋ねると、大石を持って「逃げればこれで打ち殺してやる」という。どうやらまた強盗らしい。
男は慧海から杖を奪うと、金があるだろうと脅かす。慧海が「荷物には経文と食料しか入っていない。金は懐にある。欲しければもっていけ」と腰を上げたところで、馬に乗った男3人が近づいてきた。すると強盗は一目散に逃げ出した。
馬に乗った3人に事情を話すと、「向こうの寺の下に村があるので早く行きなさい。それまで見張りをしてやろう」と親切に言ってくれた。
その夜は、村を過ぎてさらに東に進んだニャーモ・ホッター村に泊まり、翌日はタクツカ村に泊った。
12月20日は前夜に降った雪を踏み分けながら進み、ブラマプトラの川洲に出ると鶴が清らかな声で鳴いていた。慧海は「妙や妙 玉のいさごの河原の 雪のまにまに 群鶴の鳴く」「おもむろに雪ふみわけつ妙鶴の 千代にかはらぬ道をとくかな」と詠んだ。
川沿いを進むと道は川から逸れ、本道は東南の山中へ続く。坂を上って6キロほど先のシャブ・トンツブ村に泊り、翌日、川沿いを進むと岩山のふもとにチャム・チェン・ゴンパ寺(大弥勒寺)があった。10メートルほどの弥勒菩薩像に参り、水牛面忿怒妙王と釈迦の大堂にも参詣して僧舎に泊まった。
ここには僧侶が300人ほどいて、シカチェとラサまでの区間で一番大きい。
僧舎の主は自分が死ぬ悪夢を続けて見たために怖がって、慧海に経を読んでくれないかと頼んだ。災難よけの経などないが、少しは功徳になるかと法華経などを読んでやった。
12月28日に寺の僧侶がカトマンズに行くというので、手紙を託した。が、後に調べるとこの手紙は日本に届いていなかった。おそらく、この僧侶は亡くなったのだろう。
31日は僧侶の親元に呼ばれ、ターミラ村で読経した。明治33年が終わるその日、慧海は村に向かう馬の上でチベットまで来られたことと釈迦の加護に感謝し、仏法のために志を全うすると誓った。元旦は例によって東に向かって読経し天皇陛下をたたえた。「チベットの 高野に光る 初日影 あづまの君の御稜威とぞ思ふ」と詠んだ。
慧海は5日まで経を読んで、オーミ村に泊まった。その村の寺にはスン・チュン・ドルマ(物言う解脱母)という美しい菩薩像がある。頼まれて2日経を読んだら、たくさんの布をもらった。慧海は強盗に遭って金がなくなったが、その後は多くの人から恵まれ、布施をもらったので、だいぶん懐が豊かになった。