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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第一章 出国からラサまで
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尊者の往生


 サラット居士が帰国した後、チベットでは彼が英国のスパイだったのではないかとうわさが流れた。大獅子尊者は身の危険を察したが、逃れようとはしなかった。「仏教をチベットのみならず世界の人に伝えるのが自分の使命である。それを罪として殺されるならやむを得ない」と少しも慌てなかった。

 また大獅子尊者は仏教が生まれたインドの人に仏教を広めたいと常々考え、僧侶を派遣していた。鎖国状態にあるチベットで、海外布教の志を抱いていたのである。派遣された一人が、慧海も世話になったモンゴルの老僧ギャムツォ師だ。人だけでなく尊者は経典や仏像、仏具ももたらした。

 だがチベット政府にはこの尊者をねたむ人も多かったという。スパイの噂が起こると政府はすぐさま居士の取り調べを行い、尊者を含む関係者を全て投獄してしまった。


 尊者の死刑が執行されたのは明治20年6月。チベット東方を流れるコンボ川の岩上で、尊者は座禅し、静かに読経していた。

 死刑執行人が、最後に望みがないかと聞くと、尊者は「経文を読まなくてはならない。終わったら3度指をはじくので、3度目に川に投げてもらいたい」と安らかに言った。

 この尊い方が、わずかな罪を口実に殺されるということで、涙ながらに見守る人が詰めかけた。さらに雨も降りだし、天地もその死を悲しむようであったという。

 尊者は本来の赤色の衣でなく、罪人の白い獄衣を着け、縛られたまま静かに経文を読み、やがて三度の爪弾きをした。だが死刑執行人もが、涙を流して嘆き悲しむ有様だった。

 尊者は「もはや時が来たのにお前達は何をしているのか」と促し、執行人も、泣きながら尊者の腰に石をくくりつけ、川に沈めた。だが何度沈めても息が絶えない。

 何度目かに尊者は静かに両眼を開き「あなた方は私の死を嘆かなくていい。あなた方が私を殺すのではありません。早く水中に沈めてくれるように」とせき立て、ついにお隠れになった。


 慧海は悲しみに耐えなかった。もし自分がチベットに入った後に、またこのような悲劇が起こってはならない。

 仏教を広めようとしていた尊者は、処刑されるという悲劇に陥っても、人を恨まず、天をとがめず、静かに往生された。仏教の道徳を備えた人はこれほどなのかと、敬い慕わずにはいられなかった。


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