サッキャア大寺
慧海はサッキャア大寺の近くに宿を取り、参詣に向かった。6メートルほどの石垣の門を抜けると、本堂に着いた。
中庭から光を取り入れていて、堂内は明るい。玄関の両脇に筋骨隆々の赤と青の金剛力士が立っていた。次の間には9メートルの四天王像、7メートル四方ほどの壁面に仏画が描かれ、まことに美しい。
そこを抜けると身分の低い僧侶が集まる広庭があり、本尊をまつる堂に入る。
本堂はきらびやかではあるが、仏像や経典の陳列はぞんざいで、博覧会のようだ。天井は五色の金襴や綾錦で覆われ、その下に諸仏、菩薩など300余りの金色の像があり、柱も金襴で飾られ、中央に10メートルほどの釈迦像が安置されていた。
仏前の皿や灯明、供物台などは純金で、仏像仏具が輝き合ってまぶしいほどだったが、慧海は過度な装飾がむしろ不愉快だった。
本尊の後ろは立派な経堂で、経典で満たされている。金泥で書かれたサンスクリットの多羅葉などは、この寺を開いたサッキャア・パンジットがインドから取り寄せたものだ。版本のチベット経典はなく、写本がかなり収められている。
本堂の外れを歩いていると、異臭がした。チベットではバターで燈明を上げるが、板石に落ちればそこでバターが腐って悪臭がするのだ。
本堂の外の堂にも仏像がまつられていた。古派の開祖ペッマ・チュンネの像は宝石でできていて、壁や庭にも宝石が埋め込まれていた。
僧舎には500人ほどの僧侶が住んでいるそうだ。南の楼閣に居るのがチャンバ・パーサン・チンレー大教師である。
大教師を訪ねると、二畳台の上に座っていた。慧海はサッキャア派と他の宗派の違いを尋ねたが、忙しいので明日また来いというので退散した。
石の高塀の外に出ると南の柳林に御殿が見えた。あれがこの寺の主であるサッキャア・コマ・リンボチェの住居だ。コマ・リンボチェとは上宝という意味で、チベットでは中国の皇帝もコマ・リンボチェと呼び、月と日のように尊いと信じている。
とはいえこの人は俗人だ。サッキャア・パンジットからの血統が続いているだけで、肉食妻帯もする。なので慧海は三礼をしなかった。だが見た目は威厳にあふれた貴族のようだった。
同行のラマたちが慧海の無礼を責めたが、仏教では僧侶は俗人に礼拝ができないのだと答えた。
翌日、南の楼閣にいる大教師を再び訪ねると、12歳ほどのかわいらしい小僧がいた。あまりに慣れているので実子かと思ったが僧侶に子があるはずはない。が、慧海は疑問が拭えない。
本来なら2週間ほど滞在してサッキャア派の仏教の要点だけでも知りたかったが、腐敗した僧侶に学ぶのは嫌なので、翌日には寺を出た。