第三の都会を過ぐ
慧海一行はラールン村から20キロほど進んだ、川が合流したところで泊まった。
翌11月21日にはナム・ツォ・ゴガという大きな池に至り、その北岸を東南に進んで獅子溪の間を通って進むと村があり、その先のナクセー村に泊まった。
この日は40キロほども歩いたが、それは牧草が少ないこの地域では馬の餌代がかさむからだ。
22日は高い山坂を越えて20キロほど行くとまたブラマプトラ川に着いた。ここではもはや慧海が歩いて渡った川とは違い、水は青みがかっていて、どのくらい深いか分からない。
渡し船があり、馬と一緒にインド風の箱船に乗って渡り、ハルジェというチベット第三の都市に入った。ここまで来ればチベット内部に入ったに等しい。ここから第二の都市シカチェまでは5日ほどだ。
ハルジェの南に中国人が建てた無人の大きな旅館があり、商いで訪れた中国人が泊まっていた。一行もそこに泊まり、西北原で盗賊や猛獣に遭わなかったことを喜び大宴会をした。慧海は一行と別れるにあたって漢訳の法華経を読んだ。
翌24日、慧海は一行と別れてサッキャア派の大本山を目指した。大将格のラマ数人が同行するというので馬を貸してくれた。
南に向かうと土地が大変に肥えていた。麦がここでたくさんできるのだろう。畑を過ぎて急坂を越えて進み、レンター村に宿り、翌日、川沿いに進むとサッキャア大寺が見えた。
200メートル四方の塀に白い石造りの大きな建物がある。本堂は高さ20メートルもあり、塀は弓形に立ち上がり、その上に黒塗の一城が築かれていた。屋根には露台が金色の光を放って、いかにも荘厳な構えである。