始めて麦畑を見る
13日は大きな坂を越え、そびえる岩山のふもとに宿り、翌日は岩の間を流れる川に沿って進んだ。15日は平原に出て、しばらく行くとギャートー・ターサムという駅に着いた。
石造りの家が多く、遊牧民が多いこれまでの村と違い、言葉も幾分、都会風である。買い物をして川岸に泊まるが、やはり寒い。文法の講義をしてやっている慧海は厚遇を受けて敷物や夜着を借してもらえた。
その翌日、急坂を2回超えて平原に行くと、岩の柱が2本、抱き合うようにそびえ、その上に寺があった。岩は300メートルほどあり、浅草の凌雲閣どころの騒ぎではない。寺はセースム・ゴンパという古派の寺だった。
寺をくぐり沼地に宿り、その翌日、サン・サン・ターサムの駅を抜けて東の原に宿った。夜分は寒さが厳しく、雪はないが霜が草に積もっていた。「かれくさや霜の花さく高の原」と一句詠んだ。
ある山のふもとに三軒家があった。そこには羊の皮を剥いだ屍がいくつもぶら下がっていた。さらにヤクも殺していた。
チベットでは秋の終わりから家畜を殺して干し肉にして蓄える。ただ、家畜を自分のテントで殺してはよくないので、この三軒家で一村分を殺すのだ。
この日は羊とヤギが250匹、ヤクが35匹を殺す予定でまだ15匹ほど残っているという。ヤクは四つ足を縛られ、目に涙を浮かべている。金がたくさんあれば助けてやれたが叶わない。そのうち僧侶が経を唱えながら数珠をヤクの頭に乗せて引導を渡す。これで恨みを受けることはないそうだ。
慧海は涙を流しながら家の中に逃げ込んだ。するとズドンと首が落ちる音がした。
血はおけに採って、羊羹のようなものを作る。ラサでは10月からの三カ月に殺される家畜は5万頭を超えるそうだ。
そこから急坂を上って川のそばに宿り、19日はターサン・ゴンパ寺の山を抜けて渓川のそばに泊まった。その翌日はラールン村で小麦畑を見た。
もう冬なので麦はなかったが、この地では10升の種から40升くらいの収穫があり、ラサでは豊作なら一石ほどになるというが、いずれにしろ農業が発達していない。
畑には石が多く文字通り石畑のようだ。
チベットは昔からの習慣が根強く、土壌改良はもとより石を除くこともしない。
量田法も奇妙だ。チベット人は数学を知らないので田畑から税金を取る時は、ヤクに鋤を引かせて半日かかるか、1日かかるかで大きさを測って決めるそうである。