同伴者の難問
慧海が翌朝4時頃に目を覚ますと、テントの人は肉と茶で食事をこしらえていた。しばらくすると外に放していた馬を探しに出る人がいて、馬に餌をやり、自らも食事を済ませてテントを片付けた。
慧海は馬に乗らず歩くので、同じく徒歩の僧侶と連れ立って早立ちした。
この僧侶は学を誇っているが、仏教のことは少しも知らないようだった。慧海は道連れを喜んだが、僧侶は慧海を不快に思っているようだ。聞けば慧海がチベット文法の大綱を説明したことが気に入らないらしく、「文法などを知っていても本当の仏教の意味を知らなければ意味がない」と、どうも慧海に嫉妬している様子だった。
その夜も慧海は文法の講義をして、翌日も僧侶と共に歩いた。彼は慧海を西洋人でないかと疑い、素性を探ろうとしているようだった。が、彼の質問くらいは難なくかわし、疑いが解けるよう説明を繰り返した。
草原を8キロほど行くとまたブラマプトラ川の岸に着き、川沿いを進んでから馬で川を渡った。少し北に行けばニューク・ターサムという駅があるが、一行はそこには寄らずに東の山に泊まった。この商隊は馬に草を食わせるため、駅や村には泊まらないのだ。
タズンから100キロほど離れたので、慧海はもはやツァーランの男に追いつかれることはないだろうと安心し、文法と仏教の講義をした。
学者気取りの僧侶はどこまでも慧海を疑っていて、インドでサラット・チャンドラ・ダースという人に会っただろうと聞いてきた。サラット居士は慧海のチベット語の師匠だが、知らない振りをした。
すると僧侶は、サラット居士が20年程前にチベットに侵入して仏法を盗んだこと、大獅子尊者が死刑にされたことを詳しく話し、慧海がとぼけているのだろうと言った。
慧海は「サラットのことは有名なだけに知っているが、顔は見たことがない。人が多いのは困ったものだ」と笑ってごまかした。
サラット居士のエピソードはチベットで知らぬ人は居ないが、その名をしかと知っている人も少なく、彼はエ・スクール・バブー(学校長)と呼ばれている。とはいえ外国人を入国させると大変なことになると周知されているので、チベット人は皆、疑い深い。
僧侶は質問も上手だ。慧海はすっかり敵の中で孤独を守っている気分になった。