公道を進む
慧海はギャル・プン夫婦に仏教のことを説いてやった。高齢夫婦は死後の回向のためどうか経を読んでくれというので、休息も兼ねて数日間、滞在することにした。
ところが何の病気なのか、慧海は滞在中に吐血した。血は鼻から口から止めどもなく流れ出す。草原に座り込んで血を止めるように集中しているとなんとか止まったが、辺りに血だまりができるほどだった。
テントに戻るとギャル・プン氏が顔色の悪い慧海を心配して「ここは空気が薄いから血を吐くことがある」と言って薬をくれた。病気ではなかったらしいがまた3日ほどたってまた血を吐いた。
それもそのはずで、この辺りはラサよりも高く標高4545mほどある。慧海は7日ほど養生した。
8日目、ギャル・プン氏は慧海にチベットで最も高価な獣の皮の、肩まで覆われる帽子をくれた。新品なら25円ほど、古くても10円は下らないそうだ。バターと10タンガーもくれ、馬と下僕をつけて送ってくれた。
15キロほど進み、アジョプー集落の長の家に泊まった。10月29日に家を出発し、また一人で荷を担いで東南の砂地を進んだ。
公道を行くには東に進むべきだったが、そうすると次のタズン・ターサムまでずっと人が住んでいないと聞いたため、この脇道を進んだのである。
ブラマプトラの川辺に着くと、川には氷が張って、日光にキラキラ輝いており、遊牧民のテントがあった。
宿を乞うと、主人のギャルポは明日、同じ方向に行くので同行しようと言う。おかげでヤクに荷物を運んでもらえることになった。
翌朝、川沿いを東南へ進み、白い砂原に着いた。足が取られて歩きにくいのを見かねてギャルポは馬を貸してくれた。鞍がないので尾骨が痛く、慧海はたまらず馬を下りて歩いた。
砂原を8キロほど行くと川が巌壁の間を流れる場所に着いた。川幅は狭いが急流で、岩の間を通り抜けて進むと、拳を伏せたような山が三つあった。その間に谷があって、川は山の間に流れ込んでいた。
一行は谷を進み、大きな山を越えると平原とテントがあった。慧海はここでギャルポと別れ、テントに泊まった。
翌朝、タズン・ターサムまでは川を渡らなくてはならず、案内者が必要というので雇って向かった。昼飯を済ませ、氷をたたき割って中に飛び込むと、寒気が骨にまで達して感覚がなくなった。
翌11月1日、小さな氷河を越えて、タズン寺に着いた。七仏の毛が埋められているという。寺の隅には租税を取り立てる役所もあり、商人も集まっていて、珍しい宝物もたくさんあった。