ようやく公道に出ず
慧海は杖で沼地の深さを確かめながら、距離の短いところを選んで進んだ。だが途中でゴボゴボと深く入って、倒れ込んでしまった。杖で踏みとどまったが、どうも進めない。
慧海は慎重に荷物を下ろして何とか岸の方に投げ、帯を解いて着物も脱いで投げた。
全裸で絶体絶命の中、ふと慧海の頭に子どもの頃に見た光景が思い浮かんだ。足芸の軽業だ。
慧海は杖に力を込めて体を浮かして体勢を整え、別の短い杖を横にして手前に投げた。
そして手に持った杖を突き立てて、踏みつけるようにして足を乗せた。後ろ足は、短い杖を踏むようにして一歩踏みだした。
それから軽業のように、泥に埋まらぬうちにひょいひょいと飛んで向こう岸へたどり着き、事なきを得た。
公道の近くにはテントがあった。その日はそこに泊まり、翌日、いよいよ道に出た。
公道といっても、単に多くの人が通ってできた道のことだ。整備された道はラサ周辺に少しあるだけで、人力車や馬車の通れるような道は一つもない。
ネパールの王がかつてチベット法王に西洋風の馬車を贈ったことがある。けれどもチベットで動かす所がないので、法王は馬車を持って帰ってもらいたいと言ったそうだ。結局、遠いところをせっかく持参してくれたのだからと、宮殿に飾っているとか。
ともかく公道に出たからには安心である。日暮れに慧海はテントを見つけた。テントの主は、ロー州のモンダンという山村から、商人相手に酒を売りにきている酒屋だという。
宿を乞うと、なんと店の主人はツァーラン村で知り合いになった老婆だった。老婆と再会を喜んで泊めてもらった。
翌日、慧海はヤクに乗せてもらい、老婆の店の者に送られて20キロほど先のギャル・プンという人の家を訪ねた。
ここボンバ州では第2の長者で、ヤクが2千、羊が5千匹おり資産家だ。テントは50メートル四方のものもあり、石造りの仏間もある。
慧海がテントに入るとテントの幕を押さえるのにたくさんの品物が並べられ、一つ一つにチベットの毛布が掛けてあった。ギャル・プンは75歳くらいで、盲目の80歳くらいの老婆が妻だ。子どもも養子もいない。チベットで遺産は近親か兄弟の子に相続される習慣である。