天然の曼荼羅めぐり(一)
寺には本堂と僧舎、石塔もあり、それは立派だった。チベットでは、石造りの家を建てるのは大変で費用もかかるから、慧海はなおさらそう思った。
この町は餓鬼の町といい、インドの僧パンデン・アチーシャが名付けた。糞を食うほど食物がないところに住む餓鬼という意味だが、チベット人はインドの言葉を知らないので、ありがたい名前を付けてくれたと誇っている。
寺は、ズクパ派のギャルワ・ゴッツァン・パーというラマが道場を建てて整備した。
慧海は僧舎の一つを借りて、寺の僧侶に案内を頼んだ。石造りの本堂は奥行き10メートルほどもある平屋建てで、釈尊とチベット仏教の古派の開祖ロボン・リンボチェの肖像がまつられていた。
彼は今で言う破戒僧のような人で、慧海は僧侶二人を並べるのに違和感を感じた。
寺院の須弥壇の下に幕が張ってあった。1タンガー払えば幕の奥を見せてくれるというので応じると、ロボン・リンボチェの姿を映したという岩があった。
見れば岩に彫刻をして絵の具でこしらえた代物で、こうして人々を欺いているのかと嘆かざるを得なかった。
けれどもこの場所が尊い霊場であることには変わりなく、雪峰チーセに参っても、このプレタプリーを詣でなければチーセ参拝にはならないと言われるほどである。プレタプリーの下にはランチェン・カンバブの大河が流れ、向こう岸には色とりどりの岩壁が重なっている。
寺の周りには天然の奇岩があり、岩を悪魔降参石とか観世音菩薩像とか名前を付けてまつっていた。慧海はさっきのロボン・リンボチェの見世物のせいで気分を害していて、珍しい景色を見ても心が休まらず、案内している坊主をぶんなぐってやりたい気持ちになった。
神石窟から川沿いに200メートルほどいくと、温泉があった。湯は透明で熱く、130度を超えている。石灰を固めたような白や赤、緑、青などの湯の結晶があり、参詣者がこれを持ち帰っていた。
慧海は寺で一泊し、翌朝、帰路に就いた。だが、道を間違えたのか3時間で出るはずの川に5時間たっても出なかった。道を転じて川にたどり着き、川を渡ったところでとうとう日暮れになった。
慧海が世話になっているテントの巡礼者たちは心配して探しに来ていた。一家の娘は慧海の姿を見つけて「もう死んだのではないかと思っていた」と大いに喜んだ。
一行は翌日も東の山へ進み、ラクガル湖の東北、マナサルワ湖の西北の原に着いた。チーセ雪峰からの台地が湖に向かって斜面になっているような平原だった。いよいよ翌日、チーセへ参詣する。