女難を免る
娘は国を出てから父親と1年ほど巡礼の旅をしている。だから病身の母がどうしているか分からないという。
慧海は「私はおっかさんの安否を知っている」と言うと、娘はよもや母親が死んだのではないかと思い始め、恋心は憂いでかき消された。
チベットで僧侶は神通力があると信じられている。慧海は「なに、おっかさんは死んだ訳ではない。けれどもこの世は母が先に死ぬか、おまえが先に死ぬかは分からない。そういう無常の世の中で…」と話すが、娘は「母が生きているのか死んでいるのか、言ってちょうだい」と泣き始め、慧海への恋心はすっかり忘れてしまった。
8月26日、東北の方に向かうと沼の原に出た。4キロほどいくと沼は深くなり、杖も落ち着かない。そこで2キロほど戻って東に進むと沼が川になっており、川を三つほど渡って山に入った。
その晩は山で泊まることにし、テントを巡って乞食の行をした。施しはわずかながら5、6軒回れば1日の食事くらいは得られる。
翌日も乞食をして夜は説教した。一帯は霊地であり巡礼者は強盗も狩りも控える。ただし、ここを離れれば殺されるおそれもあるから慧海の説法には熱が入った。
8月28日、波のような山脈を越えて30キロばかり進む。水がなかったが、以前、砂地で味わった餓鬼道の苦しみほどではない。
その日の夕暮れにはインダス川にそそぐランチェン・カンバブの上流についた。この川はカイラス山のチュコル・ゴンパ寺の東にある泉から流れ、マナサルワ湖に至り、そこから隠川となって流れ出ているという。が、この川の水面のほうがマナサルワ湖よりも高いのでそれは考えにくい。
慧海は川の端でテントを張って泊まり、翌日、プレタプリーという霊跡へ参詣に行くため、留守番を残して出かけた。
川に沿って西に行くと大きな岩が300メートルほど続いていて、岩間を通り抜けると北から注ぐ三筋の川「トクポ・ラプスン」があった。
一筋を渡って少し坂を上ると茶畑のような草原に出て、また2キロほど行くと二筋目の川があった。いずれも腰くらいまで深さがあり凍えてしまった。
慧海は同行の3人に、一息するので先に行くように言った。十分に修行したつもりだったが、慧海の足はチベット人にはとても及ばない。もぐさを取り出して三里に灸を据えて西に向かった。
8キロほどで平原が終わり、川沿いに下流へ行くと立派な石の摩尼檀がある寺が見えた。摩尼檀はまるで列車がつながっているように見える。慧海はあたかも文明国に来たような気がした。