女難に遭わんとす
商人は慧海をすっかり英国政府のスパイと勘違いし、話を持ちかけてきたのだ。
いわく、自分は英国の支配下にある人間だ。あなたに損はさせないので、その代わり、インドに帰ってから商売を引き立ててもらいたい、と。
慧海は自分は中国人であると言うと、商人は中国語ができる人を引っ張ってきた。だがさほど中国語はできず、慧海が漢字で筆談しようとすると、その人は笑いながら「よしてくれ、チベット語で話そう」となった。
商人は、「あなたが中国人であるなら中国での商売に役立つことがあれば教えてもらいたい」というので、慧海は土地書などを英語で書いてやった。そして、インドへのサラット居士あての手紙を託した。日本へ送る手紙も同封した。後に慧海が確認すると、その手紙は確かに届いたとのことだった。
市場での逗留中、慧海が連れていた羊が逃げてしまった。おそらく巡礼者一家の三人兄弟の末の弟が盗んだようだが、慧海は知らぬふりをした。それよりも恋する娘の方が慧海を困らせたからだ。
巡礼者一家は、とても慧海を慕っていた。そのため、一家の若い娘が恋心を抱き始めたらしい。
そこで慧海は、僧侶とは清浄なもので、もし間違いが起こったら無間地獄へ落ちる。美しい娘さんは注意して用心しなくてはならないと説いて切り抜けた。
親兄弟が買い物に出て、テントに慧海と娘の二人きりのタイミングがあった。娘はチャンスと思って話しかけているのだろう。故郷のよいところや、母が親切であること、ヤクや羊の数、チャチャン・ペンマの幸せな暮らしを喜々として慧海に説明してきた。
チャチャン・ペンマとは茶と酒を代わるがわる飲むという意味だ。娘の故郷では僧侶も妻帯するのは普通であり、私の相手にならないのは愚かだと言わぬばかりだ。
その時、慧海はブッダガヤを思い出した。釈尊はまさに成仏するその時に、悪魔の娘が現れて誘惑の限りを尽くした。その時に娘が歌った歌が、この巡礼の娘の言葉にそっくりだったのだ。
慧海は釈尊のように悟りを開ける地位にはいないが、むしろこの娘が気の毒に思い、「愚かにもまして愚かになりなまし 色にすゝめるさかし心を」と詠んだ。
そして慧海は「おまえのおっかさんは生きているか死んでいるか。それが分かりますか」と尋ねた。娘は驚いた顔をした。