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山中の互市場


 チベットの田舎では物々交換が主で、貨幣を使った買い物はまれだ。チベット人はバターや塩、羊毛、羊、山羊、ヤクの尾を、ネパール人や雪山に暮らすチベット人はインドから仕入れた布類、砂糖、羅紗を交易する。

 貨幣で交換する場合はインドの銀貨を使う。ところがチベット人には筆算も珠算もなく、計算は数珠を使う。

 2+5をするには、まず珠を二つ、次に五つ数え、そこから改めて一つずつ数えてやっと7になると分かる。かけ算や割り算を暗算でやって見せても彼らは納得しない。

 数が大きくなると黒白の石を使う。白石が10個で黒石一つ、黒石は竹くず、竹くずは坊主貝、坊主貝はチベット銀貨に置き換わる。この通りなのでかなりの時間がかかる。


 この地方はンガリといって、漢訳では阿里という。広大で西はラタークやクーヌブを含み、南のプランという都が有名だ。プランではスリランカから伝わった文珠、観音、金剛手の三菩薩をまつっていた。ちょうど慧海が来る半年前に火事に遭い、このうち文殊菩薩以外は焼けてしまったという。


 参拝に行くには関所があり、疑い深い商人もいるだろうから、慧海(えかい)はそこには行かないことにして、同行の巡礼者たちと別れて2日ほど留守番をすることにした。

そこから西へ進み、ラクガル湖の西側に出てから湖に沿って東北に進んだ。湖には島が三つあって、五徳のような形をしていたので五徳島と名付けておいた。


 8月17日、ギャア・ニマ市場に着いた。ヒマラヤのインド側に住む人が7月15日からの2カ月だけ開く市で、白いテントが150ほどもあった。

 このギャア・ニマ市場が慧海の旅した最も西北の地だ。これまでラサまでの迂回ルートをとってきたが、ここからは本当にラサへ一歩ずつ近づくことになる。市場で少し買い物をして泊まり、ギャア・カルコ市場へ向かった。

 ここはチベット西北原とインド方面のヒマラヤの人が交易する市場で、ここまではインドのヒマラヤの人でも来ることが許可されている。


 市場で慧海はミルムの商人から、「ひそかに御膳を差し上げたい」と招待を受けた。商人は英語の分かる人で、そこに向かうと、慧海は英国のスパイだと決めつけられてしまった。

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