アノクタッチの神話
翌日の8月3日、慧海は巡礼と連れ立って川沿いを進み、6キロほど先の霊泉チュミク・ガンガーで喉を潤した。
北の山に登ると大きな白大理石があり、その岩下に大きな霊泉チュミク・トンガア・ランチュンがあった。大理石の中から湧き出た泉はインドのガンジス川の源である。
そこから西北に進み、川を渡って一夜を明かすことにした。この日は12キロほどしか歩いていない。空にはカイラス山の雪峰がそびえていた。
カイラス山は天然の曼陀羅である。慧海は山に向かって己の罪を懺悔し、百八遍の礼拝を行い、二十六の誓願文を読んで誓いを立て、「何事の苦しかりけるためしをも 人を救はむ道とこそなれ」と詠んだ。
同行の巡礼者が慧海に、なぜそんなに礼拝して中国語を読むのかと聞くので、誓いの説明をすると大変感心した様子だった。説教をしてくれというので慧海が応じると、カイラス山を巡る間の給仕を買って出てくれた。
翌日は山脈を20キロばかり進むとマンリー(7757m)という雪峰がそびえていた。近づくと雷が鳴り響き、あられが降り、大地を震わせる壮絶な様子は、霊峰が破裂するほどだった。だが一時間ほどで天気は一気に変わり、再びマンリーが姿を現す。変幻自在な天候が慧海を驚かせた。
少し進んだ池のほとりに宿った。慧海は世話を受け、経を読んで説法する生活に幸せを感じた。
翌日8月6日は坂を越えるためにヤクまで世話してもらった。そして20キロほど行くと、マナサルワ湖に到着した。
その景色の素晴らしさは豪壮雄大にして霊妙。池の形は蓮華が花開いたかのようで、湖面は空を映し浄玻璃のように輝いている。カイラスの霊峰は碧空にそびえ、周囲に小さな雪峰が取り巻く様は五百羅漢が釈迦を囲んで説法を聞いているようだ。
慧海は、これまでの幾多の困難が霊水に洗い流される思いがして、我を忘れた。このマナサルワ湖は海抜4696mと世界中で一番高い場所にある。チベットではマパム・ユムツォ、サンスクリットではアノクタッチ、漢訳では無熱池という。
インドとチベットのジャンブ州という地名はここから生まれた。「ジャンブ」というのは水音で、これはこの湖の真ん中にある如意宝珠の樹から実が落ちる時の音だという。この湖からインドの四大河に水が注いでいることから、ジャンブ州という名が付いた。
華厳経によると東の川には瑠璃の砂が流れ、南の川に銀砂が流れて、西の川には黄金の砂が流れ、北の川には金剛石の砂が流れて、それらはこの湖を7遍巡り巡って流れていくとしている。湖の中には大きな蓮華が花開いており、その上に菩薩がおられ、カイラス山には生きた菩薩や仏がいる。マンリーには仙人もおり、天上の無上の快楽を尽していると説明される。
夜は月が輝いて湖水に移り、カイラス山が仏のように座っていた。慧海はこの光景を目に焼き付け、思い出す度に心中の塵が洗い流される思いがするのだった。
マナサルワ湖の絶景に見とれて慧海は歌を詠んだ。「東なる八咫の鏡を雪山の 阿耨達池に見るは嬉しも」「ヒマラヤのチーセの峰の清きかな 阿耨達池に影を宿せば」「ヒマラヤのサルワの湖に宿りける 月は明石の浦の影かも」
インドの四つの大河はこの湖から流れ来ると言われるが、実際には湖を源泉とする川は一つもない。
その夜は湖のほとりのツェコーロウという寺で宿を取った。寺の住職は「この辺りで最も有名な寺のアルチュ・ツルグーというラマが、美人を女房にして寺の財産を全て持ち去り、どこかへ逃げた」と話した。慧海がホルトショの近くで世話になったラマだ。
住職にそう告げると「あのラマは恐ろしい悪い奴で、菩薩の化身などもってのほか。美人の連れ合いは悪魔の化身だ」というので慧海は驚いてしまった。日本の僧侶がどれほど腐敗していようとも、寺の金で女房を養うような不道徳な者はいないだろう。
慧海が翌日も湖で景色を眺めていると、ヒンズー教徒が参詣に来て礼拝をしていた。彼らにとってカイラスはシヴァの化身だ。
その翌日、湖に沿って西北の山中に15キロほど行くとひょうたん型のラクガル湖が見えた。
この湖とマナサルワ湖の間は山で隔てられ、ラクガル湖のほうが水面が高い。10年おきくらいに豪雨があり、山の低いところから水が流れて湖がつながることがあるという。それを男女の逢瀬に例える神話がチベットにある。
ラクガル湖を眺めて20キロほど下って平原に着くと、マブチャ・カンバブという深い川が流れていた。幅50メートルほどだが広い場所に行けばきっと300メートルも500メートルほどにもなろう。この川こそがガンジス川の源である。
慧海たちは川の端にテントを張って宿った。周囲にはプランという山里から交易に来ているテントがいくつかあった。この交易の仕方がなかなか面白い。




