高雪峰の嶮坂
「これは日本という仏教国の政府が発行したパスポートで、私はチベットに仏教修行のために来た僧侶だ。それを政府に訴えるならそれでもいい。ただ仏教のため僧侶を保護したいと思うなら、誰にも言わないでもらいたい」。慧海がそう説くと村長は「決して他言は致しません」と約束した。
チベットへはどう行くのかと聞かれると、慧海はトルボとセーに参詣し、ダウラギリ(8167 m)にある仙人の国を訪ねると説明した。「とにかくあなた方の迷惑にならないように6月頃になれば出発します」と告げると、村長は安心した様子だった。
慧海は村長の家を辞して寺に移り、読経生活に入って雪解けを待った。出発前、荷物や食事を整えると30キロほどの荷物になった。それらはポーターに持たせ、慧海は経文だけを背負ってマルバ村を出た。
これからポーターを連れて20日ほど山を巡ることになる。そこから3日ほど道も無いところを歩くと、10日ほどで西北原に出られるはずだ。出立の前、「空の屋根、土をしとねの草枕 雲と水との旅をするなり」と詠んだ。だが旅は歌のようにいかなかった。土ではなく雪と岩の上に寝る旅だったからだ。
村からカリガンガー川沿いに西北に4キロほど行って一夜を過ごし、翌日、岩が突き出た細い道を上ること8キロほどで、桃林のある谷に出た。そこから急坂を10キロほど行き、ダンカル村に泊まった。空気が希薄なためか調子を崩し、翌一日は休憩とした。
今度は北へ急坂を8キロほど登り、氷の谷を渡り、さらに急坂を5キロほど上ってから昼の休息をした。水が無いので、岩の間の草の根をかんでみたら、とても酸っぱい。それをかみながら蕎麦パンを食べた。
それから4キロほど登り西に折れ、断崖絶壁の牟伽羅坂を上った。坂の左側に高雪峰が剣を並べたごとくそびえており、ほとんど道なき道を、猿が樹渡りをするようにたどって進む。
さすがにポーターは重い荷を背負いながらヒョイヒョイとうまく進み、慧海に足場の指示をくれた。ストックも巧みに使う。
こうした難所を上る間に雪焼けした目が痛くなり、呼吸も苦しくなった。しかもポーターによれば、難所をあまり急ぐのも危ないが、ここでゆっくりして悪い空気を吸えば死んでしまうという。
慧海は勇気をふるいおこして進んだが、動悸は激しく頭は発火するほどに痛み、昏倒しそうになった。リウマチの足の痛みもあり、ほとんど進めなくなった。