28.解除条件
「大っ変、失礼いたしました……!」
案の定、正気に戻った父上は現状を正確に把握したようで、まずは目の前にいるユゲットにそれはそれは綺麗なまでの角度で頭を下げた。
「ま、アタシにかかればざっとこんなもんよ。で、どうするんだい? アマドゥールの坊や。今回の件、オーギュスタンも相当困惑してたみたいだけどねぇ」
けれど先ほどまでの態度が許せないのか、それとも侮られたという事実がそうさせるのか、ユゲットはまだ若干冷たい物言いのまま父上にそう告げる。当然のように殿下の名前を出しているあたりからして、明らかにわざとだろう。
それに対して父上は焦りを見せつつも、以前のような冷静さを取り戻した口調で静かに返す。
「そう、でしょうね。わざわざ鑑定士を派遣してくださったほどですし、この件に関してはすぐにでも王家へ報告すべき事案だと考えております」
「へぇ? それで、自分がそうなった原因に心当たりは?」
「もちろん、ございます。以前から頻繁に顔を合わせていた人物がおりますので、おそらくは彼の仕業なのでしょう」
「それは何人かいるっていうフェルナンの婚約者候補の中の、特定の家の父親なんじゃないかい?」
「おっしゃる通りです」
父上とユゲットの会話を要約すると、外交へと向かう前から私の婚約者候補の一人である令嬢の父親とよく顔を合わせていたそうなのだが、戻ってきてからは以前にも増して頻繁に会うようになっていたのだとか。それも約束をしているわけではなく、毎回同じ場所で偶然居合わせわずかに言葉を交わす程度でしかなかったため、そこまで警戒もしていなかったのだと父上は口にする。
「本当に、お恥ずかしい限りです」
「恥で済めばいいけどねぇ。そもそもアンタ自身が、心の中でフェルナンの相手は候補者の中の誰かとって強く願ってたから、こんな子供だましみたいなものに簡単に引っかかったんだよ」
「それは……そう、ですね。確かに候補者の中から決めてしまえば問題も起きにくいだろうから、そろそろ相手を決定しようかと考えていたのは事実です」
「不運だねぇ。けど偶然がこうも重なると、ここまで面倒な事態に発展するんだってことがよく分かっただろう?」
そこに付け込まれたというよりは、たまたま相手の運がよかっただけなのだとユゲットは説明するのだが、しかしそれでも普段から気を付けていれば問題はなかったはずだと口にして父上に鋭い視線を向ける。どうやらユゲットからすると最初の印象が悪すぎたようで、父上に対しては普段よりも若干手加減がないように見えるのは、おそらく私の気のせいではないはずだ。
「ただ、その……息子が本気で愛した女性に問題がないようであれば、認める心づもりでいたのですが……」
「あくまでつもり、程度だろう? 本心では変に問題が起きるくらいなら、このまま自分が決めた相手と添い遂げればいいとでも思っていたんじゃないかい?」
「……はい。魔女様のおっしゃる通りです」
さらにはこういう時だけしっかり核心を突いてくるせいで、父上も普段のどっしりと構えた様子はどこへやら。先ほどからユゲットに対してタジタジになっている。
だが、そんな父上の珍しい姿を眺めているほどの余裕も、次に彼女が発した言葉のせいで私の中からは完全に消え失せてしまった。
「まったく。そのせいでフェルナンはいつまで経ってもアタシの魔法が解除されない状態になってて、かなり大変なことになってるっていうのに」
「……は!? 私はなにも聞いていないが!?」
魔法が解除されないだとか、大変なことになっているだとか、明らかに不安になる言葉だけがユゲットの口から出てきたことに私が驚いていると、なぜか彼女は呆れた様子でため息をついてからこちらに視線を移す。
「言っただろう? 体に負担はかかるが色々と心配だから魔法を重ね掛けしておくって。あれの解除条件がソフィアと再会することだったから、フェルナンはまだアタシの魔法を二重掛けしてる状態のままなんだよ」
「な!?」
体に負担がかかるとは聞いていたが、解除条件までは聞かされていなかったこちらとしては改めて出てきた事実に驚きしかない。だというのに、ユゲットはどうして気が付かなかったんだと言わんばかりの視線を向けて、さらにこう続けたのだ。
「ソフィアと会えなくなって、どれだけ時間が経ったと思ってるんだい。そのあいだ強い衝動が一切起きなかったことに、アンタは疑問は持たなかったのかい?」
「え……」
ユゲットの赤い瞳に真正面から見つめられ、外交から戻ってきたあとの自分の言動を振り返り、そうしてようやく気付かされる。確かにソフィアが屋敷からいなくなっていることに衝撃は受けたが、それ以降は驚くほど冷静に物事を進められていて、逆に感情的になることもソフィアが目の前にいないという事実に振り回されることもなかったと。
「アタシの魔法の効力で今もまだ抑えてるから、アンタは冷静でいられるんだよ。もしも解除条件を帰宅時になんて設定してたら、真実を知った瞬間屋敷を飛び出してすぐにソフィアのところに行ってただろうね」
「……」
その言葉を否定できないのは、今もその恩恵を受けているのだと実感できてしまったから。
確かにすぐにでもソフィアに会いに行きたいという思いはあるが、その思いの強さをなにかが押しとどめている感覚を今初めて認識して、これのおかげで私はずっと冷静さを失わずにいられたのかと納得してしまったのだ。
「まぁ、そういうことだからね。オーギュスタンだって望んでることだし、取り返しがつかなくなる前にすぐにソフィアを迎えに行っておいで」
先ほどまでとはまた違う意味合いを持って真っ直ぐに向けられたその視線に、私は一つ頷くと。
「……父上。今回迷惑を被った私としては、特注の馬車の使用許可をいただきたいのですが」
今度は父上に向けて、今の私が取れる最善の方法を端的に提案する。
これだけで父上は意図を理解してくださるだろうという認識でいたのだが、普段とは全く違う状態だったため情報があまりにも少ないせいか予想に反して、珍しくすぐには判断を下せないようだった。
「その前に、ブランシェ伯爵令嬢はどういった人物なのか、その女性に伯爵家を国に強くつなぎとめる以上の価値があるのかどうかだけは、先に知っておきたい」
「資料は用意させているので、あとでゆっくりとご覧ください。ただ彼女の価値をひと言で表すとすれば、ブランシェ伯爵家の『雪野菜』を生み出した張本人です」
「それは……確かに我が家に迎える価値のある、重要な人物だな」
だがようやく普段通りの冷静さを取り戻したからなのか、私のその言葉だけで様々なことを理解したうえで、父上はゆっくりと頷く。
「それでいて、お前が本気で愛した令嬢、というわけか」
「ソフィアは私が心から愛している、ただ一人の女性です」
替えのきかない、唯一無二の存在。私にとってソフィアだけが、この心を向ける対象なのだ。
初めから諦めていたあの時と今では、状況が全く違う。手に入れられるのならば、どんなにみっともなくとも足掻いてみせる覚悟がある。
「オーギュスタン殿下も認めていらっしゃるのであれば、問題はないだろう。なにより私自身も、彼女に直接謝罪しなければ……。いいだろう、馬車の使用許可を出す」
「ありがとうございます!」
欲しかった言葉を父上から引き出せたことで、私は急いで執務室の扉へと向かい手をかける。
しかし、それを開くよりも先に。
「フェルナン」
後ろから父上に真剣な声で呼びとめられたので、思わず振り向くと。
「婚約のための手配はこちらでしておく。……逃がすなよ」
まるで背中を押すようにそう告げられたので、私はひとつ笑みを浮かべ。
「はい、もちろんです」
力強く頷いてから、急いでブランシェ伯爵領へと向かうため今度こそ父上の執務室の扉を開いて、廊下へと一歩足を踏み出したのだった。




