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2.もう一つの契約条件

 そんな風に驚きの連続の毎日を過ごしていたせいで、ソフィアはもう一つの大切な契約条件を、すっかり忘れてしまっていた。

 この生活に慣れるために必死だったのも事実なので、致し方ないことと言ってしまえばそれまでなのだろうが。まさか自分が忘れていたことを依頼主であるフェルナン本人に、しかも仕事に出発する直前に言及されるとは、ソフィアは思ってもみなくて。


「そういえば、我が家の図書室にはもう足を運んでみたのかな?」

「……あ」


 目の前にいる人物がアマドゥール公爵家の嫡男(ちゃくなん)であるということも、侯爵位を持つ人物であるということも抜け落ちて、ただ小さくひと言だけつぶやく結果となってしまったのだった。


「ソフィアもそろそろ、我が家の生活に少しずつ慣れてきた頃だろうから。空き時間に、好きなだけ蔵書を読んでおいで。きっとそろそろ、昼間は暇になってくるはずだからね」


 優しい微笑みと共にアメシスト色の瞳を向けてくるフェルナンの言葉は、ある意味でしっかりと的を射ていた。実際ここ数日でソフィアもかなり公爵家での生活になじみ始めてきているので、初日よりはだいぶ緊張せずに過ごせるようになっているという自覚もある。

 そんな中での、この発言。当然、ソフィアが飛びつかないはずがなく。


「はい、ありがとうございますっ。今日は図書室に足を運んでみますねっ」


 普段ではあり得ないほど語尾が跳ねているのは、ソフィアにとって本は際限なく知識を与えてくれるものであり。同時に、水不足のせいで借金までしなければ保てないほど貧しかった領地を少しでも改善するために、唯一(ゆいいつ)力を貸してくれた友人のような存在だからだ。

 そう。この依頼を受けた一番の理由が、提示された金額の大きさだったとするならば。決定打となったのがこの、公爵家の大量の蔵書を好きなだけ閲覧(えつらん)していいというものだった。

 当時はかなり切羽詰まっていたのか、金額が足りないようであればさらに増額することもできると提案された上で、他にも何か要求があれば遠慮なく教えてほしいとフェルナンからの手紙には書かれていたのだ。当然、ソフィアは急いで公爵家の蔵書の閲覧許可が欲しいと手紙に書いた。学園卒業後は一切新しい知識を得ることができなかったので、せっかく依頼を受けるのであれば付加価値が欲しいと思ったのも事実。

 つまり自らが提案した条件でありながら、彼女は今の今まですっかり忘れていたことになるのだが。急激に生活や住環境が変わってしまった以上、こればかりは仕方がなかったとしか言いようがない。


「図書室の鍵は、すでにウラリーに預けてあるから。好きな時間に行くといいよ」

「はいっ!」


 だからこそ、ソフィアの表情はアマドゥール公爵邸へとやってきて以来、今最も輝いていた。それはそれはキラキラとした視線を、思い出させてくれた感謝の念と共にフェルナンに向ける。

 そんなソフィアの様子を、どこか微笑ましそうに(なが)めながら。けれど少しだけ残念そうな口調で、彼はこう口にするのだ。


「楽しそうなソフィアと同じ時間を過ごせないのは残念だけれど、私も仕事に行かないといけないからね。だから今日は、帰ってきたら色々と感想を教えてくれるかい?」


 それは決して、強制力を持たない言葉。将来の外交を担うフェルナンがその言葉を選んだということには、しっかりと意味があったのだろう。

 だがソフィアにはむしろ、今まで得た知識を話せるような相手は存在していなかった。そもそも学園に通っていた頃は、結婚相手どころか友人関係ですら諦めていた彼女なのだから、当然といえば当然のことだったのだが。けれどだからこそ、初めて自分の興味のあることに関心を示してくれた人物に対して、ソフィアはある種の親近感を覚えたのだった。


「もちろんです! 私でよければ、ぜひ!」

「ありがとう。君にそう言ってもらえただけで、今日一日頑張れそうだ。感想、楽しみにしているよ」


 そこにさらにフェルナンのこの言葉と笑顔とくれば、ソフィアが上機嫌になるのもおかしな話ではない。そこには、初めて意見を交わせるかもしれないというわずかな希望も含まれていたことに、本人が気付いていたのかどうかは……また、別の話ではあるが。

 そして。


「あぁ、それと。君と少しでも長く同じ時間が過ごせるように、なるべく早く帰ってくるから。待っていてね」

「っ……!」


 ソフィアの耳元でフェルナンが優しくささやくのも、これまた別の話である。主に魔女の魔法のせい、という意味で。


「それじゃあ、行ってくるよ」


 それでも爽やかな笑顔を向けられて、ハッと我に返ったソフィアは。


「い、行ってらっしゃいませっ」


 急いでそう返せたので、朝の見送りとしては何とかギリギリ及第点(きゅうだいてん)ではあっただろうと、自分自身で結論づけたのだった。図書室という彼女にとって天国なような場所への期待も、その胸の中に宿しながら。



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