15.それぞれの本音
酔いが回っているとは思えないほどしっかりとした口調でそう告げる殿下の願いを、たとえ今この段階で私が断ったとしても、だ。おそらくは全く同じことを外交から戻ってこられた父上に持ち掛け、そして見事許可をもぎ取ってくるのだろう。
もちろん『雪野菜』の有用性は、私もよく理解している。国内の美食家たちがこぞって欲しがるなど、そう多くあることではない。となれば、それを使用した料理を国外の貴賓を招いた際に出せばどうなるか、それが分からないほど私も愚かではないのだ。
(贅沢になっているはずの舌を満足させられるほどの存在は、様々な場面で交渉を有利に働かせることができる)
料理そのものへの満足感から機嫌をよくしてくれる場合もあれば食材そのものが交渉材料になる場合もあるが、いずれにせよ外交の成功のために一役買う可能性が高いと認識している『雪野菜』をみすみす手放すなど、国としてもアマドゥール公爵家としてもあり得ない考えであることは確かだ。
ただ、やはり一つだけ問題があるとすれば――。
「……ブランシェ伯爵家が、その『雪野菜』生産の要である令嬢を簡単に領地から出すとは思えません」
いくら王家が欲しているとはいえ、この程度で王命を出すわけにはいかない。かといって普通に婚約を持ちかけたところで、色よい返事がもらえるとも限らないのだ。むしろいっそのこと素直に王家から『雪野菜』に関する契約を交わしたい旨を伝えたうえで、助成金についても盛り込んでしまったほうが早いのではないかとすら思う。だがそれは同時に他の家からの反感を買う可能性も高いのだと理解しているので、私も簡単には口にできないのだ。特に弱い立場に置かれてしまうであろうブランシェ伯爵家のことを考えれば、なおさら。
どうするべきかと本気で悩む私とは反対に、その返答から勝機を見出したのであろう殿下は大変いい笑顔で口を開いた。
「十分に政略結婚になり得ると理解してもらえたみたいで嬉しいよ。それに難しい相手ならばなおさら、君が一番適任なのではないかな」
「……はい?」
「なんといってもフェルナンは、交渉術に長けているアマドゥール公爵家の嫡男だからね! 必ず口説き落としてくれると期待しているよ!」
その言葉を無責任と取るか、あるいは厚い信頼と取るかについての判断は、とても難しいところではあったが。一つだけ確かなことは、殿下の中ではすでに確定事項として考えられているのだという事実。
思わず額をおさえながらため息をついてしまった私だったのだが、さらに追い打ちをかけるように今度は別の方向からも場違いなほど明るい声が耳に届いた。
「まぁ、なんだかんだ理由をつけたところで、今のフェルナンに選択肢なんてないんだけどね。素直にアタシの魔法に従って、愛した娘と幸せにおなりよ!」
ハハハとそれはそれは楽しそうに笑いながら、グラスの中の赤ワインを喉の奥へと流し込むユゲット。この状況を生み出した元凶である人物のその姿に、私はもう怒りすら通り越してもはや脱力するしかなく。イスの背もたれに体の体重を預けて、今度は短くため息をついたのだった。
そんな私の様子を見かねたのか、殿下が若干苦笑しながら言葉を紡ぐ。
「王家としてブランシェ伯爵家との強い結びつきが欲しかったことも、そのための理由としてユゲットが君にかけた魔法が有用だったことも、どちらも事実ではあるけれどね。私個人としては友人である君が幸せになってくれたらという思いが一番強いし、なによりそれこそが私の本音であり願いなんだよ」
「殿下……」
その声もまなざしも今までにないほど穏やかであたたかく、それが殿下の本心なのだと瞬時に理解できてしまったのは、疑う必要性すらないほどに真っ直ぐな瞳をしていたからだろう。。
それに感化されたというわけではないのだろうが、ユゲットもまた達観したような口調でこう語る。
「アタシもねぇ、ずっと気になってはいたんだ。政略結婚ってのは、どうやったって本人たちの意思は無視される傾向にあるからね。オーギュスタンはたまたま運がよかっただけで、割と綻びが出たり崩壊したりすることも多いんだよ。アンタたちだってよく知ってるだろう? やれ、どこの誰には愛人がいるだの、あそこの家の女主人は旦那が留守の間に浮気してるだの、ってね」
それは貴族であればよく耳にする内容ばかりで、思わず私も殿下も口を閉ざしてしまう。愛のない関係である以上仕方のないことだと黙認されてはいるが、貴族ではないユゲットの口から聞かされると言葉を選ばない分、その異様さが際立つ気がした。
「真面目なフェルナンがそんな不誠実なことをするとはアタシも思ってないけどね。でもやっぱり、夫婦になるのに愛がないなんて寂しいじゃないか。しかも本当に好いた相手が他にいるのなら、なおさら。それこそ不幸だよ」
しかし次に出てきた彼女の本音とも取れるその言い分には、殿下も何度も首を縦に振って同意を示している。
確かにそれは不幸かもしれない。私だけではなく、婚約者として正式に決定した令嬢にとっても。
だがそれがどれだけ不幸だと言われようと、失礼なことだと声高に叫ばれようと、政略結婚である以上は仕方がないことだと割り切って生きてきた。それが貴族の嫡男として生まれてきた私の義務なのだと信じて。だからこそ当然夫婦となる女性や他の人物に対して、決してその真実を口にするつもりも気取られるつもりもなかったし、もし仮に相手にも私と同じように別に想う人物がいることを知ってしまったとしても、あえてそのことには触れず気が付かなかったことにしてやり過ごそうと決めていたのだ。
だというのに、まさかこんなことになってしまうとは。私自身ですら予見できなかったものを、いったい他の誰が予想できたというのだろうか。
「アタシの場合は魔女だからね。オーギュスタンと違って理由も必要ないし、だからこそ手段だって問わない。ただ友人に幸せになってもらいたいからこそ、好き勝手に魔法を行使するんだよ」
「……さすがに、本当に好き勝手に魔法を使われては困る」
「そこはアタシなりにわきまえてるのさ」
快活そうにニッと笑うユゲットの言葉を、はたして本当に信じていいのかは謎ではあるが。それでも彼女のその言葉に嘘は一つもないのだろう。なにせその赤い瞳は、どこか愛情にも似た優しさに満ちていたのだから。
 




