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1.大問題

「今日も美しいね、ソフィア」

「っ……! ありがとう、ございます……」


 宣言通り耳元でささやかれる愛の言葉に、毎回羞恥を覚えつつ。それでも初回よりは冷静に返せるようになってきている時点で、ソフィアは自分の成長を感じていた。


 これが侯爵様からの朝の挨拶だと言ったら、いったいどれだけの人たちが信じてくれるのだろうか。

 そんなことを考えつつ、けれど同時に一般的な彼のイメージとはかけ離れすぎていて、きっと誰も信じてはくれないだろうとも思ってしまうのは。ソフィアが学園時代のフェルナンの噂を何度も耳にしたことがあるから、という理由だけではないだろう。実際これまで彼の噂の中には、(うわ)ついた内容のものなど一つもなかったのだから。


 だが現実は、初日の夕食後に部屋まで送ってくれたかと思えば、そのまま流れるように「おやすみ、愛しい人」などと当然のようにささやいてきたのだ。あの瞬間にソフィアが完全に固まってしまっていたのは、不意打ちだったからというのもあるが。これが律義(りちぎ)にも約束通り、就寝前の挨拶での出来事だったので、昼間の言葉は本当だったのだとつい身構えてしまった部分のほうが大きかった、というのが真実である。

 そうとは知らずに、フェルナンはどこか満足そうな笑顔を浮かべながら「また明日」と普通に接してきたので、ソフィアも思わず反射的に「はい、おやすみなさいませ」と返してしまって。そのまま彼の背を見送って、専属侍女のウラリーが開けてくれた扉をくぐり部屋の中に入ってソファーに座り込んでから、一連の流れを振り返り。そうしてソフィアは、頭を抱えてしまっていたのだった。


 そもそもにして初日から、着替えも湯浴(ゆあ)みも侍女に手伝われながらということにまず驚き。そして直前に美味しすぎる食事に驚いていたその流れでの、コレ(・・)だったのだ。もはや色々とソフィアの中で処理が追いつかず、どこから考えるべきなのかもよく分からなくなっていたのは事実。

 それに加えて、このあと用意されていたナイトウェアに侍女の手によって着替えさせられた際にも、あまりにも手触りの良いさらさらとしたその質感に驚いたり。さらには眠る直前にも、柔らかすぎるベッドに驚かされることとなり。まさに初日だけでも、かなりの驚きの連続だったのだ。


 それでいて翌日の朝からは、前日は本当に控えてくれていたのだと分かるほど、それはもう屋敷の中で会うたびに愛をささやいてくるフェルナンと過ごすことになってしまえば。さすがのソフィアも、嫌でも慣れてくるというものだろう。

 実際フェルナンは毎日、朝の挨拶と同時に「今日も美しいね」と優しい笑顔を向けながらささやいてきて。さらに出かける際には、玄関ホールまで見送りに出てきたソフィアに「君と一緒にいられないのは寂しいよ」とささやくと、本気で寂しそうな様子でその神秘的なアメシスト色の瞳を伏せてしまうし。そうして一日の仕事を終えて帰ってきたかと思えば、出迎えたソフィアに向かって「ようやく君に会えた」と、それはそれは嬉しそうな笑顔を向け。そして極めつけが就寝前、必ず部屋まで送ってくれるフェルナンは「おやすみ、愛しい人」と、その日一番の愛の言葉をささやいて、満足そうに自分の部屋へと帰っていくのだ。


 これを、毎日。数日とはいえ朝夕晩と繰り返されれば、いい加減ソフィアも実感が湧いてくる。

 そして、今日もフェルナンに部屋の前まで見送られて、ウラリーたち侍女にさらさらのナイトウェアに着替えさせられ、そして柔らかすぎるベッドの中に入りながら。ソフィアは一人、物思いにふけっていた。


(これは……そうね。確かに、大問題だわ)


 世間では侯爵様と魔女は親友だと言われているようだが、いくら友人関係にあってもこの魔法は、面白半分に気軽にかけてしまっていいものではない。ましてや、それを解くことが本人にできなくなってしまうような可能性のある場面だったのであれば、なおさら。

 今は自分がその役目を負っているのでまだいいが、これまではどうしていたのだろうと本気で心配になってしまったソフィアは、けれど同時にフェルナンがどうして自分のような貧乏伯爵家の令嬢にわざわざあんな手紙を送ってきたのかが、ようやく理解できてしまって。普通の生活も送れないほど重症な様子では、確かにわずかでも可能性があるのであれば賭けてみたいと思ってしまうのは当然だろうと、むしろ今では全力で納得してしまっている。


(しかもお相手は、あのフェルナン様)


 まだ婚約者を発表していない、世の貴族令嬢の憧れの男性の一人。もしそんな人物に、嘘とはいえ愛をささやかれてしまったら。きっと普通の令嬢であれば、簡単に勘違いをしてしまっていただろう。そして面倒な事態を引き起こすに違いない。

 最初に魔法の内容を聞いた際には、婚約者にそんな場面を見られてしまったら大問題だろうと考えていたのだが。今まさに、その婚約者以外の令嬢という当事者となってしまったソフィアは、別の方向からの恐ろしさに気付いて戦慄(せんりつ)していた。自分が彼の立場だったら、恐ろしすぎて外には出られなかっただろう、と。

 同時に、自分には結婚願望がなくてよかったと安堵(あんど)すらしてしまう。もしもこれで自分が普通の貴族令嬢だったらと思うと、色々な意味で破滅する未来しか見えそうにない。


「魔女様の人選は、そういうことだったのかもしれないわね」


 どうして自分だけが選ばれたのかと、それがずっとソフィアは疑問だった。むしろそれこそが、最初に手紙が本物かどうかを疑った理由でもあったのだ。もちろん家紋と署名があったので、間違いなくアマドゥール公爵家のフェルナンからのものだということは、すぐに証明されたのだが。内容が内容だったため、そこは疑いたくなるのも仕方がないことではある。

 だが今のこの状況を冷静に分析してみれば、自然と答えが見えてくるというものだろう。つまり魔女ユゲットは、魔法を解くことができる可能性があり、かつフェルナン・アマドゥールという超優良物件に愛をささやかれても決して勘違いなどしないような、そんな人物を探していたのだろう。

 それでは条件が難しすぎただろうと妙に納得してしまうのは、おそらくソフィアがフェルナンの人気と噂をよく知っているからであり。さらには実際にこうして毎日顔を合わせて言葉を交わし、人となりを知っていけばいくほど、見た目だけではなく中身も大変素晴らしい人物なのだと理解できてしまったからだ。

 あれでは、自分以外に候補者が見つからなかったのも当然だろう、と。むしろ納得しかない。


「私はお金のために、お仕事として割り切れるけれど……」


 もしもこれが万が一にでも、領地経営で借金までしている状態の、まさにギリギリの令嬢ではなかったとすれば。この時点で、すでに何らかの問題が起きていてもおかしくはないのかもしれない、と考えてしまって。思わず、口からため息がこぼれた。

 つい嫌な想像をしてしまいそうになったところで、ソフィアは急いでぎゅっと目を閉じる。あり得ないはずの現在をわざわざ考えて、気分を悪くする必要はない。それよりも今は、この気持ちのいい寝具たちに包まれながら気持ちよく眠りたいと、それだけを考えて。そのままゆっくりと、夢の世界へと沈んでいったのだった。



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