7.フェルナンの婚約相手
「え…………。え……?」
真剣な表情で見上げてくるフェルナンの神秘的なアメシストの瞳とは対照的に、ソフィアの鮮やかなエメラルドグリーンの瞳は明らかな困惑を伴ってその瞳を見つめ返している。それもそうだろう。今彼の口から放たれた言葉は、明らかに予想の範疇外だったのだから。
「婚約者に愛をささやけとソフィアが言うのであれば、もちろんそうするよ。だからソフィア、私の婚約者になってほしい。そしてゆくゆくは、私と結婚を――」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
おかしな展開になっていると判断して、フェルナンの言葉を途中で遮ってから、今度はソフィアが必死に否定の言葉を返していく。
「私とフェルナン様では明らかに釣り合わないですし、そもそも私は最初から婚約者候補の中にはいなかったはずですよね!? アマドゥール公爵様もお許しにならないでしょうし、なによりフェルナン様は今ユゲット様の魔法の影響で色々勘違いされているだけで、言うべき相手を間違えていらっしゃるのではありませんか!?」
そう、この関係はあくまでユゲットが酒の席でフェルナンに魔法をかけてしまったからこそ始まったものであって、本来の形とは全くの別物だ。だからこそ当然、貧乏伯爵令嬢である自分は婚約者候補の中には入っていなかっただろうし、フェルナン自身にも魔法の効力で愛の言葉を口にしすぎてしまったせいで影響が出てしまっているのだろうと、そうソフィアは考える。
だがそんなソフィアの言葉を受けても、フェルナンは緩く首を横に振ってから冷静にこう返すのだ。
「そんなことはないよ。そもそもソフィアの家は伯爵位、私の家は公爵位だからね。貴族の婚姻を考えれば、身分は十分釣り合いが取れている。特に今の私は侯爵位を持っているから、なおさらだよ」
「で、ですがっ……!」
しかし、それでこのおかしな状況を受け入れられるわけがないソフィアは、さらに言葉を重ねようとするのだが。それを笑顔一つで制して、フェルナンは続ける。
「確かに婚約者候補のリストの中に、ソフィアの名前はなかった。それは知っているよ。けれど以前と今とでは、状況が全く違うからね。そもそも今回の件に関しては、しっかりと父上にも許可をいただいた上でのことなんだよ。だからあとは、私がソフィアからいい返事を引き出せさえすれば、晴れて私たちは婚約者になれるというわけだ」
「……はい!?」
まさかあのアマドゥール公爵からの許可が下りているなどとは信じられないソフィアは、自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと一瞬本気で疑いたくなったのだが。それを否定するかのように、目の前で片膝をついている男はさらに衝撃的な事実を口にした。
「ソフィアの今までの言動や功績を父上にも伝えたら、すぐに婚約の許可を出してくださったんだよ。むしろ『雪野菜』は今後、他国との外交の際にも大いに役立つだろうということで、国に莫大な利益を生む可能性を見出していたそうだからね。それに父上も私の本気を知って、ソフィアのことを絶対に逃がすなと言ってくださったんだ」
「っ……!?」
その言葉に、思わず吸い込んだ空気でヒュッと喉が鳴ってしまったソフィアだったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。いくら魔法の効力が出過ぎているとはいえ、こういった嘘をフェルナンが口にするはずがないことは今までの付き合いで知っているからこそ、アマドゥール公爵本人が本当にその言葉を伝えたのだと理解できてしまって。
(おっ……大事になっている……!?)
そもそもフェルナンの婚約者に関しての正式な決定権を持っているのは、彼の父親であるアマドゥール公爵なのだ。その人が認めてしまったとなれば、それは事実上の確定だと言っても過言ではないだろう。そして公爵家からの申し出を断るような権限も度胸も、貧乏伯爵家にはあるはずがない。つまりソフィアはフェルナンの婚約相手として、すでに内定しているということだ。
ここでふと、ソフィアは屋敷に戻ってきた時に父とフェルナンが交わしていた会話のことを思い出した。
(確か、お父様が本当にいいのかとフェルナン様にお聞きしていて……)
そして、彼はこう答えたのだ。「彼女に受け入れてもらえれば」と。
あの時は何の話なのか分かっていなかったし、それよりも二度と会えないと思っていたはずのフェルナンが目の前にいることにばかり気を取られてしまっていて、その内容にまで頭が回っていなかったのだが。今考えれば、あれはアマドゥール公爵家からの婚約の打診に対する、ブランシェ伯爵家としての返答だったのではないだろうか。そしてだからこそ、彼からの「招き入れてしまっていいのか?」という問いかけに対して「我が家としては願ったり叶ったり」と父は答えていたのかと、ようやく理解するのと同時に気が付いてしまったのだ。
(それぞれの家の当主の同意を、すでに得てしまっている状況なのね……)
こうなってきてしまうと、むしろもうソフィアに拒否権はないようなものだ。本来であれば素直にフェルナンの言葉に頷いて、家同士のつながりのために彼に嫁ぐのが妥当だろう。
だが、始まり方が始まり方でありこの状況下である以上、そう簡単に首を縦に振ることはできないと、ソフィアは今度は違う方向へと気合を入れ直す。たとえ受け入れてしまうほうが楽だということも、それが自分の初恋を実らせる唯一の方法だということも、頭では分かっていたとしても。
(私はフェルナン様に、不義理だけはしたくないもの……!)
正しく幸せになってほしい。その一心で、ソフィアは口を開くのだった。




