23.眠れない夜
結局その後、恋心を自覚して口数が減ってしまっていたソフィアではあったが、そのことを二人に気付かれることもないまま。むしろ、帝国での二人の出会いから始まる数々の思い出話に花を咲かせているユゲットとフェルナンの会話を、驚きつつも頷きながら聞いているばかりになってしまったため、ほぼ聞き役に徹していたソフィアが口を開く必要もあまりなかったからこそ、不審がられることもなかったのだろう。
けれど最後にはしっかりと、ユゲット本人から「アタシがフェルナンにかけた魔法を解けるのは、ソフィアだけだからね! よろしく頼んだよ!」と念を押すように告げられて。それにはソフィアも苦笑しつつ頷くしかなく、フェルナンもフェルナンでソフィアの横に立ちながら、なぜか深いため息をついていたのだった。
ただ、この日の夜。
「ねぇ、ウラリー。フェルナン様のお隣にユゲット様が立っていても不自然ではないと私は思うのだけれど、あなたにはどう見えていたのかしら?」
恋に落ちる心配がないのであれば、自分よりも魔法をかけた張本人であるユゲットのほうがずっと今の立場に相応しいのではないかと考えたソフィアが、寝室の明かりを消そうとしていたウラリーにそう問いかける。昼間の様々な事実に不安になってしまって、彼女の口からはついそんな曖昧な言葉が出てしまったのだが、ウラリーは驚いたような表情で振り返ると。
「いいえ、まさかっ。確かに魔女様がご友人としてお隣に立つことはあるかもしれませんが、アマドゥール公爵家の夫人としてという意味であれば、それは全くの別物ですっ。ソフィア様ならば伯爵家のご令嬢ですし大変お似合いですが、貴族令嬢でもないお方がこのお屋敷を管理されるお立場になられるなど、考えられませんっ」
彼女にしては珍しい勢いでそう否定してくるので、ソフィアは驚きに思わず目を大きく見開き瞬きすら忘れてしまう。
だが、一度勢いに乗ったウラリーは止まらない。
「そもそも魔女様が正式にお屋敷を訪れたのも、今回が初めてのはずですから。なによりお二人のご関係はあくまでご友人としてのものであり、第三者の目線としてもそれ以上の感情を瞳に宿されているようにはお見受けできませんでした。ですから魔女様のおっしゃる通り、ご友人よりも親しい間柄になるということはお二人に限っては、まずありえないのではないかと思っております」
「そ、そう……」
「さらに個人的なことを申し上げてもよろしいのでしたら、将来アマドゥール公爵家のご夫人となられるようなお方は、ソフィア様のように聡明でお美しいご令嬢であってほしいと願っております」
「わ、私……?」
止まらないどころか、真剣な表情でソフィアを見つめているその視線は、想像以上の本気度で。しっかりと頷くウラリーの瞳の奥には、強い意思が宿っていた。
「もちろんでございます。学園に通い知識を蓄え、たった二年の間に見事領地を立て直す算段をつけられたその頭脳と手腕。さらには光を受けて輝く美しい髪に、宝石のような瞳。儚げにも見える淡い唇と透けるような肌。これ以上に将来アマドゥール公爵夫人と呼ばれるにふさわしいご令嬢など、どこにいらっしゃるというのでしょうか」
大真面目にそう言ってのける彼女に、ソフィアはフェルナンにも似たものを感じて。もしかしてこのお屋敷で働いていると主人に思考がどんどん似てきてしまうのではないかと、ついそんなことを考えてしまう。
だがそれを検証するよりも先に、まずはウラリーに伝えなければならないことがあると彼女の勢いに飲まれないように注意しつつ、ソフィアは慎重に口を開いた。
「ウラリーにそれだけ認めてもらえていて、とても嬉しいけれど……フェルナン様には、元々の婚約者候補の方々がいらっしゃるはずよね? 当然その中に私は含まれていないはずだから、あまりそういったことは口にしないほうがいいと思うわ」
そもそも今ソフィアがアマドゥール公爵邸に滞在しているのは、ユゲットが酔ってフェルナンに魔法をかけてしまったから。そしてたまたま条件に合致した人物が、ソフィアしか存在していなかったから。決して婚約者候補などではないし、フェルナン本人に選ばれたからでもない。
(なにより、会話を交わすことすらできないほど、遠いお方だったのだもの)
学生時代はもちろんのこと、今だって本当は気軽に声をかけていい相手ではないのだ。特にソフィアのような、貧乏領地の令嬢が。
そう。ウラリーが言った通り、ソフィアは大変聡明な人物だ。つまり自分が今ここにいる理由も、フェルナンから向けられる愛の言葉も、全てはまやかしにすぎないのだと十分に理解していた。理解して、仕事だと割り切っていたにもかかわらず、それでもフェルナンに惹かれてしまったのだ。
(もちろん、この気持ちをお伝えすることはないけれど)
万が一にでも迷惑をかけるようなことがあれば、すぐにでもここを出て行けるようにしておかなければならないかもしれない、とまでソフィアは考えてしまう。けれど同時にユゲット本人にも言われてしまっている通り、フェルナンにかけられた魔法を解ける人物が本当にソフィアただ一人だけなのだとするならば、この仕事を途中で投げ出すわけにもいかない。
「はい。ですのでどうか、ただの使用人の個人的な意見として捨て置いていただいて構いません」
自分の中で結論が出せないまま悩んでばかりのソフィアに対して、ウラリーはそう告げて頭を下げると「それでは、お休みなさいませ」と一言添えて、今度こそ明かりを消して寝室を出て行ってしまった。
しかし暗闇の中で今後のことを一人考えているソフィアは、どうにも寝付くことができないまま。
(あぁ……。本当に、どうすればいいのかしら……)
肌触りの良いベッドに包まれながらも、公爵邸に訪れてから初めての眠れない夜を過ごしたのだった。