16.噂の魔女様
夕食時にそんな会話をした、その数日後のことだった。
「お帰りなさいま、せ……」
珍しく早めの時間に帰宅したフェルナンをいつも通り出迎えたソフィアは、その隣に見慣れない女性の姿があるのを目にして、思わずその場で動きを止めてしまう。褐色の肌と赤い瞳に、全体的に強いウェーブがかかっているオレンジブラウンの長髪を持つ女性らしい曲線美が特徴的なその人物は、その存在感からかフェルナンと並んでいても不思議と違和感がない。
(この方、は……?)
もしかして、フェルナンの婚約者候補の一人だろうか。それにしては着用している服が黒一色と暗すぎる上に、そもそも体の線が見えるほどピッタリとした服装を選んでいるところが、どうにも貴族の令嬢らしくない。特に黒は喪に服す際に着用する色であることを考えると、むしろどちらかというと未亡人という可能性のほうが高いのかもしれない、などとソフィアが一人で考えていると。
「ただいま、ソフィア。ユゲット、彼女がソフィア・ブランシェ伯爵令嬢だ。ソフィア、こちらはユゲット。以前から話していた、酔って私に魔法をかけた張本人だよ」
それぞれに紹介するように、先にフェルナンが口を開いた。
噂の魔女様の登場に、そもそも魔女という存在に初めて出会うソフィアとしては、突然のことに内心かなり驚いていたのだが。そんな様子はおくびにも出さず、令嬢らしくドレスの裾をつまんで見事なカーテシーを披露してみせる。
「魔女様、初めまして。ブランシェ伯爵家のソフィアと申します」
魔女に身分は関係ないかもしれないが、魔法を扱える人物が貴重なこの国において王太子と外務大臣の息子の客人という立ち位置にいる彼女。それは、ある意味で今誰よりも賓客として扱われていてもおかしくない存在であることは、ソフィアも理解していた。だからこその対応だったのだが。
「おやおやまぁまぁ……! そんな堅っ苦しい挨拶なんて、アタシには不要だよ! もっとほら、楽にしてていいから!」
見た目は大変魅力的な女性だというのに、口を開いた途端どこか豪快さすら感じさせるような、大変明るい性格をした人物だということがよく分かる。貴族にはあまりいないタイプではあるが領民との距離が近いソフィアからすれば、その姿はブランシェ伯爵領の肝の座った平民の母親たちや年配の女性たちを思い起こさせて、どこか懐かしい気分にさせてくれるものでもあった。
しかしそのことを知らないフェルナンからすれば、ユゲットのその態度も口調もソフィアが不快に思ってしまうのではないかと、実は内心ハラハラしていたようで。彼にしては珍しく焦ったような口調で、ユゲットのことをフォローするように急いで補足する。
「そのっ……ユゲットは普段から、常にこういう口調なんだっ。だからあまりに気にせず、ソフィアも普段通りに接してくれて構わないからねっ」
どこかオロオロとしているその様子に、珍しいものを見たという素直な感想を抱きながらも。ソフィアは落ち着いて、あえて笑顔を浮かべてみせると。
「大丈夫ですよ、フェルナン様。領地では魔女様のようにお話しする女性も、大勢いましたから」
だから慣れているのだと、その部分は笑顔と共に言外で伝えて。フェルナンがそこまで心配する必要はないのだと、端的に説明する。
その言葉と様子にホッとしたのか、肩の力を抜くのと同時に表情を緩めたフェルナンを見て、ソフィアは自分の選択が間違っていなかったことに安堵するのだが。二人のやり取りをジッと見ていたユゲットが、何を思ったのか唐突に声を上げて笑い出した。
「あっはっはっはっはっ! これは確かに、彼女を選んだのは正解だな!」
その言葉に、ソフィアは内心首をかしげながらも。とりあえずは自分を選んでくれた魔女本人から、何かしらの及第点がもらえたのかもしれないと一人納得していたのだが。なぜかここで、フェルナンが再び焦り始める。しかも先ほどのそれとは、比べ物にならないほどに。
「なっ!? ちょっと待て、ユゲット! こんなところで、いきなりそんな話を始めるんじゃない!」
珍しく玄関ホールで大きな声を出しながらも、魔女にこれ以上言葉を続けさせないよう制止するフェルナンのその姿は、ソフィアから見れば魔女に振り回されつつもどこか生き生きとしているようにも見えて。
(なんだか今日は、初めて見るフェルナン様のお姿ばかりかもしれないわね)
普段、自分の前では魔法の効力のせいで愛をささやいてきてばかりな彼の、本当の姿が見られたような気がして。そのことに嬉しくなるのと同時に、どこか胸の奥のほうで小さな痛みと苦しさを覚えたような気がしたソフィアだったが。どうして自分がそんな感覚を抱いているのかなど、今はまだ何一つ理解していないのだった。




