15.鋭い視線
「そうそう、先ほどの話の続きだけれど」
デザート用に提供されたカトラリーで、ゆっくりとタルト生地を一口サイズに切り分けていたソフィアは、フェルナンの口から発せられたその言葉にギクリと肩を強張らせてしまう。
「外交を終えて帰ってくるまで、しばらくの間はしっかりとした休みがとれそうにないんだ」
だが続くその言葉で、魔法の効力が再び発揮されるわけではないのだと悟り、ホッと胸をなでおろした。
とはいえ今でも十分忙しそうだというのに、そこに加えてさらに休みの日が皆無ともなると、ソフィアもさすがに心配になってきてしまって。
「その……フェルナン様は、実はお疲れだったりはしませんか? 最近では、お屋敷内でもお仕事をされていらっしゃいますよね?」
あまり仕事のことには口を出すべきではないと分かっていても、思わずそう聞きたくなってしまう。
十日も屋敷を留守にするのだから、その間のことや旅支度についても指示を出さなければいけないのだろう。そのせいで近頃は帰宅してからも忙しそうに動いていることを、ソフィアはよく知っていた。
だがそれに対するフェルナンの答えは、思っていた以上にあっさりとしたもので。
「大丈夫だよ。むしろ以前帝国へと留学した時に比べれば、今のほうがこうしてゆっくり食事をしていられる分かなり余裕があるからね」
けれどその言葉と向けられた笑顔から、学園に通っていた時の激務はどれほどのものだったのかと思わず想像してしまいそうになったソフィアは、ふと気が付いてしまったのだ。
(それならば、確かに学園の図書室に一時でも休息を得ようと通いたくなる気持ちも、分かるかもしれないわ……)
見ている側としては今でも十分忙しそうにしているように思えるのに、以前はこれ以上だったと本人の口から出てきたことを考えれば、当時は相当忙しかったのだろう。それこそ、ゆっくり食事をしている暇もないほどに。
だがよくよく考えてみれば、ある意味それは当然のことだったのだろう。なにせ今は王太子の外交に関する執務だけに集中していればいいが、学園に通っていた頃はそれに加えて学業があるのだから、忙しいのは火を見るよりも明らかで。むしろ学生である以上は学業が本分なのだから、その中で執務にも関わることになったからといって手を抜くことなど、できるはずがなかったのだ。
「それに今は、こうしてソフィアが私を癒してくれているからね。とても心強いよ」
「っ!」
きっと目が回りそうなほどの忙しさだったのだろうと、当時のフェルナンのことを思って胸が痛くなってしまったソフィアが、ため息をつこうした瞬間だった。そんな風に、フェルナンが再び甘い声で語りかけてきて。ソフィアは思わず、今度は体全体を硬直させてしまう。
しかし、続く言葉は思っていた展開とはだいぶ違っていて。
「でもだからこそ、こんなことを告げなければならないのは心苦しいのだけれど……。私が屋敷を離れている間に何か問題が起きてしまっても対処ができないから、ソフィアにはできるだけ外出を控えてほしいんだ」
本気で申し訳なさそうな表情をしながらも真剣な瞳をこちらへと向けてくるフェルナンに、無意識のうちに姿勢を正してソフィアは頷いていた。
その姿を見て、フェルナンはほっと息をつく。
「あぁ、もちろん庭の散策などは今まで通りしてくれていいからね。屋敷の敷地内から出るようなことさえなければ、それで問題はないから」
「はい、分かりました」
今度は言葉でも了承の意を伝えると、フェルナンの纏う空気は一気に普段通りの柔らかいものへと変化した。
だがソフィアは先ほどの一瞬、なぜか逆らってはいけない雰囲気を彼から感じ取ったような気がしていて。確かに責任者がいない間に問題が起きてしまってはいけないので、最初から一人で外出するつもりもなかったソフィアは、その言葉には当然従うつもりではあったのだが。
(もしかしたら普段お仕事をされている時のフェルナン様は、ああいった鋭い視線をどなたかに向けていらっしゃるのかもしれないのよね)
つい先ほどの真剣すぎる瞳を思い出して小さく体を震わせてしまったソフィアは、それを振り払うように軽く頭を振ってから、切り分けていたマンゴーのタルトをようやく口に含んだ。
「ん~~!」
途端に口の中いっぱいに広がる、生のマンゴー特有の瑞々しい果肉の甘さと香り。そこにタルト生地のザクザクとした食感が相まって、一気にソフィアを幸せな気分へと押し上げてくれる。
そんな様子を目の前で見ていたフェルナンは、ふふっと小さく笑みをこぼすと。
「こちらも気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。きっと料理人たちも喜んで、しばらくの間は気合いの入ったマンゴーのデザートを用意してくれるだろうね」
言葉通り嬉しそうな表情でそう告げてから、自身もマンゴーのタルトを口へと運ぶ。
そうして二人は、しばしデザートを楽しみつつ。
「あぁ、そうだ。今取れない休みの分、戻ってきたら長期の休暇をもらえそうなんだ。だからこそで、また一緒に王立図書館や王都の本屋に出かけようね」
「はい、ぜひ! 楽しみにしています!」
和やかに会話も楽しみながら、食後の紅茶の時間までゆっくりと過ごしたのだった。
もちろんその間、美味しいデザートに上機嫌なソフィアが笑顔を絶やすことはなく。それを見ていたフェルナンや使用人たちも終始朗らかな表情をしていて、食堂内はずっとあたたかな雰囲気に包まれており。全員がこの穏やかな時間から幸せと癒しを得ていた事実は、誰の目から見ても明らかだったことだろう。