9.学園の図書室
「もちろん後学のためにという理由もあったけれど、私もオーギュスタン殿下も、時折疲れてしまうことがあってね。そんな時は寮にも戻らず、図書室でゆっくり過ごすことも多かったんだ」
同じく学園に通う生徒たちからの質問攻めや、イベントの際に令嬢たちに囲まれてしまった時、そして何より当時から関わっていた王太子の外交に関することなどで疲れてしまった時に、一時でも休める場所をと思って足を向けることも多かったのだと、当時を思い出しつつも苦笑しながらフェルナンは話を続ける。
「基本的に学園の図書室は、誰であっても私語厳禁だったからね。殿下の護衛ですら、あの場所ではあまり声を発しようとはしていなかったんだよ。おそらくは彼らも学園出身者だからこそ、そういったルールが身についていたんだろうね。おかげであの場所では、私も殿下も安心して休息を得ることができたんだ」
だからどうしても心身を休めたくなった時には、本を読んでいるふりをしてゆっくり過ごすことも多かったのだと語るフェルナンに対して。
(地位が高い方も、それはそれで大変な思いをされているのね)
若干の親近感を覚えてしまったソフィアは、これは不敬にあたらないだろうかと考えつつも、それに対する自分なりの答えを返す。
「読書自体が、ある人によっては学びであるのと同時に、また別のある人にとっては楽しい趣味の時間だったりしますから。どんな目的で図書室を利用していたにせよ、迷惑行為にさえあたらなければ、きっとそれぞれの自由でいいのだと思います」
勉学のために必死に本と向き合う人もいれば、息抜きのために趣味の本を手に取る人もいる。そういう場所で、しかもその手元にはしっかりと本があったのであれば、理由など何でもいいのではないかと、ソフィアはそう思うのだ。
「さすがに睡眠をとるのであれば、一度寮にお戻りになられてはいかがですかと司書の方も声をかけたくなるかもしれませんが。そうでないのならば、きっとどなたも咎めたりはしないはずですから」
特に寮でもゆっくり休むことができないのであれば、なおさら。あの静かで落ち着く空間は、特別なものだったはずだから、と。そう思いながら微笑みを伴って伝えたソフィアの言葉に、フェルナンは数回瞬きをしてから、それを噛みしめるようにゆっくりと目蓋を下ろしつつ、口元には微かな笑みを浮かべていた。
「そう、だね。確かにあの時、一度も注意を受けたことはなかったから。きっと、そうだったんだろうね」
そうして、再びそのアメシストの瞳が姿を現した時。そこにはどこか優し気な雰囲気が宿っていたような、そんな気がするソフィアだった。
「まぁでも、私が図書室によく足を運んでいた理由は、それだけではないけれど……」
「……?」
「うん、そうだね。ソフィアが言う通り迷惑行為にはあたらないだろうから、きっと全て許されていたのだろうと思っておくことにするよ」
「はい」
途中、多少気になる部分はあったものの。とりあえずはフェルナンの中で納得できる形に落ち着いたようなので、ソフィアは頷いておくことにする。
そのまま図書室での思い出話に花を咲かせていると、気が付けばあっという間にメインディッシュが胃の中へと消えてしまっていた。だが雲の上の人だと思っていたフェルナンと、まさかこんなところで共通の話題ができるとは思ってもみなかったソフィアとしては、もしかしたら今までの中で今回の会話が一番楽しいと思えたものだったかもしれない。
などと、和やかな気持ちのまま油断していると。
「本当にソフィアは、昔から本に夢中なんだね」
「はいっ。大好きなんですっ」
「それはいいことだけれど、集中しすぎて周りが見えなくなってしまう時があるのが、少し困りものだね」
「うっ……」
メインディッシュからサラダへと目の前の料理が移行したタイミングで、フェルナンから告げられた言葉を思わず正面から受けてしまい。ついつい色々と前科がある身としては、耳が痛くなってしまったソフィアである。
「もちろんソフィアの本に対するその集中力は、本当に目を見張るものがあるしすごいことだとは思っているよ。だからいいところでもあるけれど、同時に少し気を付けないといけない部分かもしれないね。特に寝食を忘れてしまうくらいになってくると、周囲の人間も心配するからね」
「そ、その節は大変ご迷惑をおかけいたしました……」
以前のやり取りを思い出して、今度は違う意味で恥ずかしくなってしまったソフィアは、小さくなりながらも頭を下げて謝罪の意を示す。実際にあの時は、完全に自分が悪かったのだと反省はしているのだ。
「ウラリーをはじめとした侍女たちも心配していたし、その話を初めて聞いた時には私も本当に心配したんだよ」
「はい、すみません……」
居心地の悪さを覚えて、思わずそれを誤魔化すためにサラダを口へと運ぶと、その瑞々(みずみず)しさに先ほどまで肉とソースで多少こってりしていた口の中が、一気にすっきりとしていく。
だがここでソフィアの口から自主的に、二度とやらないという言葉が出てこないのは。彼女自身が、その約束ができないほど自分が本狂いであるということをよく知っているからに他ならないのであった。




