13.そもそもの価値観
(それにしても……)
馬車に揺られて、最初の目的地である店へと向かう道中。ソフィアは隣に座るフェルナンの顔を、横目でちらりと見上げる。
今からどこへ向かうのかもよく分からない中、それでも先に腹ごしらえは確かに必要だろうと納得した彼女は、別段深く考えることもなく。ただそのあとの王立図書館へと足を踏み入れる瞬間を楽しみにしながら、一人考えごとに耽っていた。
(そうよね。普段はあまり一緒にいる時間がない分、今日のような休日こそ、私がお仕事をするべき日よね)
そもそもソフィアがここにいるのはフェルナンの依頼を受けたからであって、決して本を読むためにわざわざ領地から出てきたわけではない。それは重々承知しているし、だからこそ彼の休みの日にこそ自分の出番なのだと、理解はしている。している、のだが。
(それなのに、お出かけしてしまってよかったのかしら?)
間違っても、他の女性へ愛をささやいてしまわないように。こういう日にこそ、屋敷の中でその魔法が発動しなくなるくらいまで、思う存分付き合わせてしまえばいいのにと。個人的には王立図書館へ向かえることを大いに喜びながらも、冷静になった瞬間そんな風にも思ってしまうソフィアだった。
「ソフィア? どうかしたのかい?」
考えながらもチラチラと見上げてくる彼女の視線に気付いて、フェルナンが不思議そうにそう問いかけてくる。
それに焦ったのは、当然ソフィアのほうで。
「あ、いえっ、あのっ……」
「何か気がかりなことがあるのなら、今のうちに話してくれたほうが私としても助かるんだ。だから教えてくれないかな?」
「うっ……」
少し心配そうなアメシストの瞳にのぞき込まれながらそう言われてしまえば、黙っているのも何だか悪い気がして。おずおずと、ソフィアは今考えていたことを口にする。
「その……私としては王立図書館に行けることは大変ありがたいのですが、フェルナン様は本当にそれで大丈夫だったのかな、と……」
「私が? どうして?」
「いえ、あの……例の発作の件とか、ですね……」
どこまでこの場で口にしていいのかも分からず、若干ぼかし気味にそう答えるソフィアの視線はせわしなく、あちらこちらへと動いているが。それを聞いたフェルナンは、どこが合点がいったかのように「なるほど」と頷いた。
「それを気にしてくれていたんだね。ありがとう、ソフィア。けれど私は、君が楽しんでいる姿を見られるのが一番嬉しいんだよ」
「そ、それは……」
「それにね、こればかりは私自身もいつどんな場所で、どんな形で衝動に駆られるのかも分からないものだから。休日に先に消化してしまおうとか、そういうことはできないんだ」
器の中を空にしておけば、一定期間は外に置いておいても水があふれるようなことはないというような、そんな簡単なことではないのだと彼は口にする。むしろこの魔法はその日一日の中での総量が決まっているようなもので、それさえ守ることができれば変に実害はないのだという。つまり、前借りなどは一切できない仕様だということ。
「だから毎日、決まった時間にソフィアに会う必要があるんだよ」
「それは……なんだか、とても面倒な魔法ですね」
「そうかもしれないね。ただ酒の席でのことだから、あまり整合性を求めるのは無意味なのかもしれない」
確かにと思ったソフィアは、しかし口には出さなかった。なんとなく、知りもしない相手のことなのに同意するのも変だと思ったからだ。
「まぁでも、今日はほぼ一日ソフィアと一緒にいられるからね。一応の対策として、食事時は全て個室にしてあるから、そこは安心していいよ」
「は……え?」
はい、と言いかけて。突然告げられた事実に、思わずその顔をソフィアは凝視してしまった。
そう。今日の外出の予定は、全てフェルナンによって組まれたもの。となれば当然、彼にとって都合のいい場所が選ばれることになるのは、もはや必然で。そして残念ながらソフィアの目の前にいる人物は、デュロワ王国の外務大臣の嫡男であり、本人もまた侯爵様。つまり貧乏伯爵家の令嬢であるソフィアとは、そもそもの価値観がかけ離れている部分も多大にあるということ。
「個室、ですか……?」
「そうだよ。とはいっても私がよく行く店だから、あまり特別な場所ではないけれどね」
そう言って穏やかに微笑んだフェルナンに、ソフィアは二の句が継げなかった。それもそうだろう。なにせ彼女にとっては王都の、しかも公爵家嫡男の通う店の個室ともなれば、どれだけの金額になるのか想像もつかないのだから。ただ一つだけ分かっているのは、昼食代だけで今まで見たこともないような、相当な額になるのだろうということだけ。
ここにきて初めて、今日の予定の全貌を聞くのが恐ろしくなってきたソフィアは。自らの精神衛生上のためにも、金額はもちろんのこと今後の予定も一切知らないままでいようと、この瞬間決意したのだった。




