12.雪の精霊
そうして、フェルナンと約束した王立図書館へと向かう当日。ソフィアは朝から、大勢の侍女たちに囲まれていた。
実は前日から、明日のご予定のための準備をいたしましょうと言われ、今まで体験したことのないマッサージを受けたりもしていたのだが。まさか当日の朝の支度までこんなにも大掛かりなものになるなど、ソフィアは想像もしていなかったのだ。
(公爵家の方のお出かけともなると、毎回こんなにも大変なのね)
などと、ちょっとした着せ替え人形になったような気分で、おとなしく着替えやら化粧やらを受け入れていたのだが。そんな彼女だけが、この外出の意味を全く理解していなかった。むしろ侍女たちのほうがしっかりとフェルナンの意思を汲み取っており、だからこそ普段以上の人数で張り切っていたのだ。ここで失敗するわけにはいかない、と。
ちなみにフェルナン本人はといえば、特にどうしてほしいという希望は一切伝えてはいなかった。ただ当日は馬車での移動だからこそ、多少着飾っていても問題ないだろうということと、昼食と可能であればアフタヌーンティーも外で済ませてくるつもりだと伝えただけ。だが、それだけで十分だったのだ。王立図書館だけではなく他にも立ち寄る場所があるという情報だけで、アマドゥール公爵家の侍女たちは、最適な装いを導き出すことができるのだから。
そうして侍女たちが腕によりをかけて仕上げたソフィアは、どこからどう見ても美しくも儚げな雰囲気を醸し出す、完璧な令嬢だった。
まだところどころ痛んでいるようにも見えていた、雪原を彷彿とさせるようなスノーホワイトの髪は、しっかりと香油を塗り込まれたことで輝きを増しながらも、しっとりとまとまっており。透けるような肌が特徴のその頬には、淡く優しい桃色が乗せられていた。
化粧により、普段以上に透明度を増したその肌に合わせるドレスは動きやすさを重視した、あまりスカートが広がりすぎていないものではあったが、当然のように足元近くまで隠せる長さではある。そしてその色は、ソフィアが持つ儚さをさらに強調するかのような淡いスカイブルー。髪色との相乗効果で、それはまるで雪の精が人の姿で顕現しているかのようにも見えた。まさに侍女たちからすれば、現在できる最高傑作といったところ。
「お待たせいたしました」
そんな状態のソフィアが、女性の支度には時間がかかることを十分に理解して、先に玄関ホールで待機していたフェルナンの元へと向かえば。
「っ……!」
その神秘的なアメシストのような瞳が大きく見開かれ、そして瞬きすら忘れてしまったかのように、まさに食い入るようにという表現が相応しいほどの視線がソフィアへと向けられるのは、当然のことだったのだろう。
目的地は王立図書館であり、だからこそ夜会の時のように華美な装飾品などは一切身に着けていないというのに、これでもかと輝いて見えるのは。本来であれば、それだけソフィアが磨けば光る逸材だったということに他ならない。
「あぁ、ソフィア……。とても、綺麗だよ」
「ありがとうございます。お出かけだからと、皆様が張り切ってくださったのですよ」
だが残念なことに、ソフィア本人だけがその変化に微塵も気付いていない。だからこそ、熱のこもったフェルナンからの視線を受けても、ソフィアは普段の魔法の影響と同じだと信じて疑わず。そのせいでせっかくの特別な装いさえも、完全に本領を発揮することができずにいた。
だが、そこはフェルナンとアマドゥール公爵邸の使用人たち。この程度で動揺するほどの教育は受けていない。何より本番はここからなのだと、ソフィア以外の全員がしっかりと把握していたのだから、当然といえば当然だろう。
「そうだね。まるで雪の精霊が私の目の前に現れたのかと、本気で驚いたよ。あとでウラリーたちには、しっかりと礼を言っておかなければならないね」
とろけるような笑顔を向けながら、フェルナンはそう口にする。万が一この場に他の令嬢たちがいたとすれば、おそらくその微笑みだけで何人もがハートを射抜かれていたことだろう。それほどの破壊力があった。
しかしここにいるのは、ソフィア一人だけ。そして彼女からすれば、ある意味でこれもまた日常の一つとなりつつあったので。
「えぇ、ぜひお願いいたします。本当に、彼女たちが頑張ってくれた成果ですから」
アマドゥール公爵邸へとやってきた当初よりも、随分と肌や髪の艶がよくなったという自覚はある。だが同時にそれは、毎日しっかりとした手入れをしてくれているウラリーたちのおかげだという認識もあったので、ソフィアは当然のようにそう返すのだ。
そんな彼女へと、優しい笑顔を向けたまま。
「そうだね。それじゃあその頑張りを無駄にしないためにも、そろそろ出発しようか」
暑い季節とはいえ、しっかりとベストの上にフロックコートを羽織った外出用の格好をしているフェルナンが、そっと手を差し出す。それを見てソフィアも、彼の意図を汲み取って。
「はい」
その手に自らの白い手を重ねることで応えるのだった。
こうして、二人の初めての外出という名のデートが始まったのだが。
「王立図書館へ向かう前に、まずは軽い昼食をすませてしまおうと思っているんだ。多くの本を読んで知識を得るためには、最初に頭がしっかりと働くような状態にしておくべきだからね」
「確かに、そうかもしれませんね」
学園に通っていた間ですら街には出かけたことのなかったソフィアなので、今日は全ての予定をフェルナンに任せて、自分は完全に王立図書館だけを楽しむつもりでいた。ソフィアが王都のことは全く知らないと口にすると、フェルナンから直接「当日の予定は私が決めておくから。君はただ、楽しむだけでいいんだよ」と言われたというのが、その一番の理由ではあるのだが。この時点で両者の間に認識の差があるということに、この時もソフィアだけが気付いていなかったのである。
だからこそ、彼女はまだ知らなかった。アマドゥール公爵家の嫡子であり、すでに侯爵位を継いでいるフェルナン・アマドゥールという国内でも有数の名門家の人間が、どんな予定を組むのかということを。