9.談話室での仮眠
究極の二択を迫られたソフィアが出した結論は、談話室での仮眠だったのだが。答えが返ってこないことに焦れたフェルナンが再び歩き出すのと同時に、「決まらないのであれば、このまま寝室に向かうよ。あぁ、ちゃんと眠るまで側にいるから安心していい。むしろ眠れないようであれば、私が一緒に添い寝してもいいかもね」などと言い出したことが、意思決定に大きく影響していたことだけは確かである。
そうして、半ば強制的に談話室に連れてこられたソフィアは今、宣言された通りにフェルナンの膝の上。しっかりと抱きかかえられているので、逃げることもできないような状況だった。
「ほらソフィア、ゆっくりお休み」
しかも目の前には、学生時代から女生徒たちにそれはそれは大人気だった、素晴らしい顔面の持ち主。
「む、無理ですっ……!」
こんな状況下で眠れるわけがないと先ほどから訴えているソフィアなのだが、その言葉が受け入れられる気配は一切ないまま。むしろソフィアが拒否すればするほど、フェルナンはどこか楽しそうにこの状態のまま眠るようにと言葉を重ね続けるのだから、両者の主張は一向に交わることはなく。ただただ、平行線をたどるだけ。
「やってみなければ分からないよ。ほら、まずは目を閉じて」
「こっ、こんな姿を誰かに知られでもしたら……!」
「大丈夫だから、心配しないで。アマドゥール公爵家の使用人たちは、しっかり教育が行き届いているし、全員口が堅いから」
「で、ですが……! 仮にも私たちは未婚の男女で……!」
「万が一にもこのことが漏れた時には、私が責任をもってソフィアを娶るから。そこは安心していいよ」
「だ、ダメですし、安心できません……! というか、からかわないでくださいっ」
「からかってなんかいないよ。私は至って本気だし、本心からそう思っているから口にしているんだよ」
「っ……!」
どんなにソフィアが言い募ろうとしても、それ以上の言葉を返されてしまっては反論することすら容易ではない。それどころか、言葉を重ねれば重ねるほど色々と覚悟が必要そうな未来まで想定されていることに、ソフィアのほうがある種圧倒されてしまって。そもそも近すぎる距離感が問題だという話だったはずなのに、本筋がどんどんと逸れてきていた。
「と、とにかく! こんなにも密着している必要はありませんし、仮眠なら一人でとれますから!」
だが、それを思い出したソフィアがどうだとばかりに、勢いに任せて言い放った言葉すらも。
「それを言うのであれば、君が今後無茶な行動を二度と取らないようにするために、これは必要なことだと私は思う。それだけ拒否するということは、何度もあっては困ることだろう? 罰としてそのくらいの内容が待ち受けていないと、きっとソフィアは何度も同じことを繰り返すだろうからね」
「うっ……」
完全なる正論で返されてしまい、逆に言葉に詰まってしまう。
なぜかこのフェルナン・アマドゥールという人物は、初めてソフィアがアマドゥール公爵邸に来た時から、彼女のことをよく理解していた。もちろん使用人たちから逐一報告は受けているのだろうが、それよりも以前から、まるでソフィアのことを知っていたかのように接していたように思えてならない。学園では関わり合いになったことなど、一度もないはずだというのに、だ。
(もしかして、魔女様が色々とご存じだったりするのかしら?)
例の魔女が、フェルナンにかけた魔法を解けないことに責任を感じていたのだとすれば、探し出した相手の詳細を彼に伝えることに対しては何の違和感もない。ソフィアからすればフェルナンは雲の上の存在に近く、当然ながら顔見知りでもなければ共通の知り合いもいない、学園に在学中一度も会話を交わしたことすらない人物なのだ。そうなれば考えられるのは、その魔女からの情報しかないだろう。
そんな風にソフィアが一人、思考の海に潜り続けていると。唐突に、視界が完全に遮られてしまう。
「え……?」
暗闇に支配された世界に驚いて瞬きをしようとして。そこで彼女は、ようやく気付いた。自分の目元を、フェルナンの大きな手がすっぽりと覆い隠しているのだということに。
「あ、あの……フェルナン様……?」
おそらくそこにいるであろう方向に向かって、視線と声を投げかけてみるものの。そのあたたかい手は、今もソフィアの視界を黒に染めたまま。
「考えごとはあとにして、今はゆっくり休むことを一番に考えるんだ」
むしろ視界が遮られたことで、その落ち着いた声が普段よりも大きく聞こえてきているような気がして。そこで初めて、ソフィアは気付く。密着している部分から、フェルナンの声の響きが直接伝わってきているのだということに。
「いえ、あの……この状況では、さすがに難しいかと……」
「何事も、やってみなければ分からないからね。ほら、目を閉じて。体の力を抜いて」
「うぅ……」
その響きと声の優しさに、なぜか急に抵抗する気力が奪われてしまったような気がして、ソフィアは言われた通り目を閉じる。今のこの状態では、目を開いていても閉じていても同じ暗闇の世界しか広がっていないからというのも、その言葉に素直に従った大きな理由だったのかもしれない。
だが。ここから先は驚くことに、ソフィアも全く予想していなかったのだが。
「おやすみ、ソフィア」
その声色と手のあたたかさに、不思議と安心してしまったのか。その優しいフェルナンの声が耳に届いた直後に、彼女は本当に眠りの国へと誘われてしまったのである。