3.公爵家の図書室
そうして無事、フェルナンを見送ってすぐ。ソフィアはウラリーに、図書室へ案内してほしいと口にしていた。
今までは屋敷の中を見て回って、どこにどんな部屋があってどこが立ち入り禁止なのかを把握するために、日中は歩き回ってばかりだったのだが。図書室に通うことになった今日からは、その生活が一変する。
「まぁ……!」
ウラリーが開けてくれた扉の向こうへと一歩足を踏み入れた瞬間、ソフィアはその鮮やかなエメラルドグリーンの瞳をこれでもかと輝かせながら、感嘆の声を上げた。ひと目見ただけで分かるその蔵書の多さと広さは、学園の図書室に引けを取らないほどだったのだ。実家であるブランシェ伯爵邸の図書室など、比べること自体がおこがましい。と、ソフィアは本気で思う。
見上げる限りの本の山たちに、さすが外務大臣であるアマドゥール公爵のお屋敷だと、ソフィアは心の中であらん限りの拍手と賛辞を送っていたのだが、それも当然のことだろう。なにせ彼女にとってこの場所は、地上の天国のように見えていたのだから。
「どのような本をお探しでしょうか?」
「え? あ。そう、ね……」
見渡す限りの本たちに見惚れていたら、ウラリーからそう声をかけられて。そこでソフィアはようやく我に返った。同時に今ここで自分は客人であり、必要な物があれば全て使用人が手元に持ってきてくれるのだということも、ここで思い出したのだが。だからといって本を目の前にして遠慮するという行為は、ソフィアの頭の中にはなかった。
「まずは、様々な植物について書かれている本が読んでみたいわ。そういったものは、あるのかしら?」
ちなみに余談ではあるが、初日にウラリーから直接、自分たち使用人に敬語は不要だと言われてしまっていたため、ソフィアは彼女たちへの対応の仕方をじっくりと考えた上で失礼にならない程度に、けれどフェルナンの客人として彼と同じようにしっかりと使用人に対する態度で接することに決めていた。それからは一度もウラリーからこの件に関して言及されたことはなかったので、ソフィアの行動は正解だったと言えるだろう。
「それでしたら、どうぞこちらの窓際の席でお待ちください。数冊お持ちいたしますので、その中からさらにご興味のあるものをお選びいただければ探してまいりますので」
「分かったわ。ありがとう」
ウラリーに促されるまま、ソフィアは引かれたイスに腰かける。本の劣化を防ぐためか、それとも蔵書の数に対応するためか。広い図書室であるにもかかわらず、他の部屋と比べて窓の数が極端に少ないため、逆にこの場所が妙に明るく感じられた。だが同時に、本を読むためのテーブルとイスもこの場所に設置されているので、確かに待つのであればここが最も適切なのだろうとソフィアは考える。そもそも使用人が本を取りに行く前提で作られていると考えれば、それも十分に納得できるというものだろう。
規則正しく並んでいる本棚へと向かうウラリーの後ろ姿を見送ってから、妙にワクワクした気持ちでソフィアは図書室の中を観察する。落ち着いたダークブラウンで統一されていながらも、ところどころに彫刻が彫られている柱に、天井は少ない明かりを最大限に生かすためなのか、明るい白で統一されていて。けれどよく見てみれば、そこにも様々な彫刻が施されているようだった。
(学園の図書室は、もっと窓も多くて壁も明るい色味で統一されていて、あれはあれで素敵だったけれど……)
この落ち着いた空間のほうが自分の好みに合うと、ソフィアは無意識のうちに頬を緩ませる。そうしてふと天井を見上げれば、いくつものシャンデリアが下げられていて。その全てに、しっかりと光が灯っていた。
(あれは……もしかすると、魔法の力なのかもしれないわね)
学園の図書室のように窓が大きく明るい場所であれば、棚から本を探すのに明かりなど必要ないのだが。例えばブランシェ伯爵邸のように蔵書も少なく部屋もそこまで大きくない場合は、紙を扱っている場所にもかかわらず手元にランプを持ちながら、一つ一つ本の背表紙を確認する作業が必要になったりもするのだ。
だが、ここではそうではない。そして今日この場所にソフィアが来ると決めたのは、つい先ほどのこと。しかも直前まで鍵がかかっていたのは、ウラリーが扉を開ける時に見ているので間違いないにもかかわらず、なぜか全ての照明に明かりが灯っている。となれば、あのシャンデリアの光源はロウソクの火ではない可能性が高い。
(そういった魔道具と呼ばれるものがあることは知っているけれど、とても高価だったはず……。とはいえ、ここは公爵家だものね。どんなに高価な品が使用されていたとしても、不思議ではないわ)
しかも外交を主な仕事とする、アマドゥール公爵家。さらには嫡男のフェルナンは帝国で魔女と親友にまでなって、国に招待するような間柄。となれば、これだけの魔道具が揃えられていたとしても、おかしな話ではなかった。
この瞬間、ほんの少しだけこの部屋の中だけでも総額がいくらになるのかと考えそうになって。けれどすぐに首を振ってその思考を頭の中から追い出したソフィアの行動は、ある意味で賢明だったのかもしれない。事実、この図書室内の照明だけでもブランシェ伯爵家が今までに背負ってきた借金以上の額になるので、そこにこの蔵書数ともなれば、ソフィアにとっては未知数の金額になってしまうことは明確だったのだから。
「お待たせいたしました。まずはこちら、五冊ほどご用意いたしましたので、どうぞ」
「ありがとう、ウラリー」
ちょうどいいタイミングで戻ってきたウラリーが、ソフィアの目の前に本を置いたのも功を奏した。おかげでこのあと、ソフィアが魔道具であろう照明たちのことに意識を向けることはなく。むしろ目を輝かせながら、そのまま本の世界へとどっぷり浸かっていってしまったのだから。




